半世紀前の熱狂と2021年の混乱  写真と語りで「聖火リレー余話」

船原 勝英(1974年卒)

 東京オリンピック・パラリンピックまであと4カ月になった3月25日、福島でスタートした聖火リレーは、コロナ禍が収まらない各地で波紋を広げながらも継続されています。「密を避ける」という感染対策の中で、大会ムード盛り上げで人を集めるイベントを開催する。島根が疑問を発し、愛媛は中止と対応もさまざま。スポンサーのご意向でやめられないのかもしれませんが、大いなる矛盾が見え隠れする「トホホなイベント」になっている2021年の聖火リレーです。

それに対し、半世紀以上前の1964年東京大会の聖火リレーは、行く先々の町で人々が沿道を埋め、熱狂に包まれた日本列島を走り抜けました。14歳だった私は、残念ながら聖火の「正走者」はおろか、伴走する「随走者」にもなれませんでした。そこで、ちょうど「聖火ランナー適齢期」でその栄誉を受けた先輩方に当時を振り返ってもらい、保管されていた貴重な写真や新聞記事などの提供を受けました。

函館市で正走者を務めた宮下憲さん(1970年卒)は、弟も随走者になったことで地元メディアも注目。当時の新聞によると、函館市の人口の3分の2に相当する15万人が沿道を埋めたそうです。石川県の小松市では正走者の荒川弘さん(1970年卒)がトーチを掲げた勇姿をみせ、筑豊の直方市では随走者として綱分憲明さん(1969年卒)と有吉正博さん(1970年卒)の2人が走りました。デンマーク在住の西村充さん(1970年卒)は原爆ドームのある広島市内で正走者を務め、群馬・渋川市では斎藤三郎さん(1971年卒)が市の教育委員会へ”直訴“して随走者のメンバーに加わっています。

全国で唯一、”残念な聖火ランナー“になったのが兵庫県で正走者に選ばれた山口政信さん(1969年卒)。北部コースは予定通り実施されましたが、南部コースの9月25日は台風接近の余波で自動車輸送に切り替え。山口さんは車の座席に座り、トーチを膝に置いて中継所まで運んだそうです。大学卒業4年目だった岡尾恵市さん(1961年卒)は、聖火ランナーのランニング指導に当たりました。伴走車の車窓から撮影した沿道の写真は貴重です。

悲喜こもごもの聖火リレーのエピソードですが、混乱が続く今年の聖火リレーとは隔世の感があります。コロナ禍という条件を割り引いても、オリンピックは日本中が待望した当時とは大きく様変わりしています。アンケート調査では、日本人の7割が開催に疑問を持つ大会。強行するにしても中止にするにしても、この「聖火リレー余話」は、巨大イベントの姿を見極める際に、ひとつの材料にもなるかもしれません。

 

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船原 勝英

1974年度卒 筑波大学陸上競技部OB・OG会幹事長 
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