◎台風で吹き飛んだ聖火リレー

山口 政信(1969年卒)

 その朝は快晴であった。吹きもどしの風は決して弱くはなかったが、「なんでや―」と叫びたかった朝である。足の速い台風は夜半に通過してしまったというのに、聖火リレーは台風に吹き飛ばされて中止になってしまった。母校、神戸市立葺合高校のシンボル、ユーカリの古木が倒れたほどの荒れようだったことは、間違いないのだが・・・。

陸上競技部顧問の青木積之介先生に呼び出されたのであろうか、兵庫県庁に出向いたようである。そこで聖火の燈ったランタンを預かり、車に乗せられて大阪方面に向かった。どこまで行ったのかの記憶はない。ただ、ランタンは右膝の上に乗せ、緊張していたことは鮮明に覚えている。このエピソードとともに甦ってくるのは、事前に受けていた神戸新聞の取材に答えた、「聖火を届けなければオリンピックは開かれない、という気持ちで走ります」という言葉。

それにしても記憶の風化は著しい。それは阪神淡路大震災による実家の半壊により、多くの物が失われてしまったことに起因するのかもしれない。聖火リレーの走者であったという物証は、日の丸が浮き彫りになった記念のバッジ一つである。

記念バッジ(表)

記念バッジ(裏)

そのようなある日、台風によって聖火リレーができなかったランナーたちによって、「56年目のファーストランの会」が結成されている、という知らせがもたらされた。後に送られてきた資料の伴走者欄には、テニスで話題をさらった沢松姉妹のお姉さん、順子さんの名前が記されていた。

会の人たちは折に触れて催しを開き、マスコミにも度々取り上げられてきた。私は鷹匠中学校の同期会と合致した日に、一度だけ参加したことがある。その日はたまたま民放のTV取材日で、松岡修三さんがレポーターとして参加された。

個人的にはNHK・TVによる綿密な取材を受けた。聖火リレーができなかったという出来事に加え、ランナーのその後に関するドキュメンタリー風のものとして放映された。が、当然ながら聖火リレーにまつわる写真は、一枚も提供することはできなかった。

さて現在。既に各地をつないでいる聖火だが、神戸から大阪に至る56年目のファーストランは5月24日だと聞いている。栄えある彼ら彼女らにとっては、タイムプセルを開けるような日となるのであろう。自然の恵みを受け、人々からも祝福されるリレーとなることを祈るばかりである。