科学エッセー(48)テクノロジー介入の功罪 4/4

前回まで主にトラック種目について述べたが,ここではフィールド種目(跳躍と投てき)の記録にテクノロジーの進化と発達がどのような影響を与え,どのような後遺症を残しているかについて分析する.

 

1.跳躍種目(走高跳,棒高跳,走幅跳,三段跳)

走高跳や走幅跳,三段跳は助走を伴い,片足で体重の数倍の力で大地をけることから,走スピードと脚パワーの大きさという体力面と跳躍の技術面が記録を左右する大きな要因となる.従って,テクノロジーの介入による効果は限定的となり,記録向上の要素は地面と接するシューズに大きく依存する.軽くて弾力性に富むシューズが求められるが,それを支える「助走スピードを高め,踏切の際の衝撃吸収とそこで生まれる弾性エネルギーが最も高くなる素材(新合成繊維)」の開発がポイントとなる.

 

しかしながら,長距離レースで威力を発揮しているナイキの新シューズほどの効果を挙げている用具は,まだ開発されていないのが現状.ここ20~30年間の記録の伸び悩みとも関わっていると言えよう.

跳躍種目の中で唯一,道具を使う棒高跳ポールの素材は竹,スチール,ジュラルミンなどを経て現在のグラスファイバー(合成樹脂材料)へと変遷してきた.最も記録が改善されたのは,グラスファイバー性ポールが使われ始めた1956~1972年間の約8%である.

 

競技規則では,ポールの材質(材料の混合を含む),長さ,太さは任意であることから,テクノロジーの進化とともに改良されてきた.しかし,選手の腕力や体重及び跳躍技術の改善に見合った安全で反発力のあるポールは,グラスファイバーで頂点に達し,それ以降は新素材がまだ開発されていない.

 

その結果は競技記録の伸びにも現れている.男子ではセルゲイ・ブブカ(ウクライナ)が1994年に樹立した屋外世界記録(6m14)が更新されたのは2020年の9月.20歳のアルマンド・デュプランティス(スウェーデン)が26年ぶりにようやく1㎝更新した.室内では2014年にルノー・ラビレニ(フランス)がブブカの記録を1㎝上回る6m16を2014年にマークし,デュプランティスが昨年6m18に伸ばしている.

女子ではロシアのスーパーウーマン,エレーナ・イシンバエワが2009年に樹立した5m06以降,10年以上も更新されていない.

 

2.投てき種目(砲丸投,円盤投,ハンマー投,やり投)

砲丸投,円盤投,ハンマー投は,テクノロジー進化の恩恵をほとんど受けていない.技術面では,砲丸投げで1950年代に登場した「オブライエン投法」に続いて1970年前後に回転式投法が現れ,1990年にはランディ・バーンズ(米国)が23m12を記録.オブライエン投法で1967年に21m78を投げたランディ・マトソン(米国)から四半世紀で記録の伸びは1m34.しかし,その後30年を経てもバーンズの記録は破られていない.

 

跳躍や投てき種目に関する研究も低調だ.学会での発表件数や学術研究の論文数等もきわめて少なく,テクノロジーの成果応用や学術研究の難しいことなどの複合的要因が,男女の記録更新を鈍らせている側面があるのだろう.

 

跳躍や投てき種目へのテクノロジーの影響を強いて挙げるなら,画像化やその処理によってiPadやスマートフォンなどを使って各自のフォームをすぐ視覚化できるようになったことである.短距離,ハードルの選手も活用しているが,特に技術的側面が大きいフィールド種目での効果が期待できるのだろう.

 

投てき種目で例外的な存在がやり投.1984年にウーベ・ホーン(東ドイツ=当時)が104m80を投げ,やりがトラックの反対側まで届きそうになったことが関係者を震撼させた.国際陸連は1986年に重心の位置(やりの中央部に巻きつけている「アキュレ」)を4㎝やりの穂先の方へ移動する新ルールを発表.このルール改正でやりが早く落下することになり,約10%も記録が低下した.

 

ところが、ゴルフボールのディンプル(表面の多数のくぼみ)をヒントにやりの表面を粗くすることで揚力を高めて抗力を低くしたため,短期間にルール改正前の記録に迫る選手が現れてきた.そこで,ルールの付帯事項で「やりの柄の表面にくぼみ,みぞやうねなどがなく,全体が円滑かつ均一でなければならない」と規制した.

 

その後も投法の改善により、記録は再び100m近くにまで伸びている.現在の世界記録はヤン・ゼレズニー(チェコ)が1996年に樹立した98m48で,2020年にはヨハネス・フェッター(ドイツ)があと72㎝に迫る97m76を投げている.

 

1994年から採用された女子の棒高跳びやハンマー投げは,競技の歴史が浅いため記録の伸びは続いたが,その他の跳躍,投てき種目ではこの四半世紀ほどで新しい世界記録が誕生していない.トレーニング方法・機器等の改善にもかかわらず,これほど長期にわたって記録更新がないのは,テクノロジーの成果が応用しにくい種目であることは確かだ.学術的研究が少なく,その成果も実践の場で生かされていないことも一つの理由であろう.

 

 

この現象を考えるうえでは,1980~2000年頃の記録があまりにも高すぎることを指摘せざるを得ない.最大の要因はテクノロジーの「負の遺産」ともいえるドーピングの影響だ.

 

ドーピング問題は古くて新しい.1960年ローマ五輪の自転車ロードレースで、デンマーク選手の死亡原因がドーピングによることが明らかになったが,その後の調査で当時から選手間にドーピングが広がっていることが判明した.

 

競技会場でのドーピング検査を経て,1989年に無作為抽出薬物検査方式(抜き打ち検査)が導入され,多くの競技種目で記録が低下した.女子200mの記録は約3%のダウン.女子フィールド種目のレベルダウンは著しく,砲丸投げでは10%以上の低下が認められた.

1999年に世界反ドーピング機構(WADA)が設立されて薬物検査が一段と強化されたことで,記録低下の傾向はさらに続いている.加えて,1990年前後の社会主義体制崩壊後にはロシア,東欧諸国の五輪や世界選手権における競技記録や成績(メダル数)の低減が著しい(Holden,2004).

テクノロジーの進化は、陸上競技のテーマである“より速く,より高く,より遠く”のパフォーマンスに多大な影響を与えた.一方で、負の側面であるドーピングの疑惑がぬぐえない過去の記録も少なくない.この悪循環の連鎖を断ち切るには,一刻も早く21世紀の世界新記録を誕生させることである.

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山地 啓司

山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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