科学エッセー(47)ラドクリフの生理機能追跡調査

マラソンやウルトラマラソンの記録は、エネルギー出力の大きさである最大酸素摂取量(VO2max)と酸素摂取水準(% VO2max),および,これらの産生エネルギーをいかに有効にランニングのために使うかの効率(経済性:RE)によって決まる.

マラソンの記録はこの3要素で81%が決まるとされ,ウルトラマラソンでは87%が決ると考えられている.英国のJones(2006)は、前女子マラソン世界記録保持者ラドクリフの1992年から11年間にわたる縦断的生理機能(VO2maxとRE)を追跡調査した結果を報告している.

一流マラソンランナーの縦断的追跡調査に関する研究は極めて珍しく、貴重なデータである.本稿は世界記録樹立までの生理的機能の改善が、記録(1998~2003)へどのような影響を与えたかを検証してみた.

1.VO2maxの変動

VO2maxの個人の生涯改善率は最高約20~30%である。13歳頃から専門的にトレーニングを開始するとすれば,VO2maxは最初の1年間にもっとも伸び率が大きくなり,先天的能力の限界に近づくにつれて徐々に小さくなり, 7~10年でほぼ個人の最高レベルに達する.

初期には軽・中等度の強度のトレーニングでも記録は容易に改善するが,伸び率が限界に近づくにつれて高強度の厳しいトレーニングを実施しないと記録は伸びなくなる.伸びがほぼ限界に達した後は、高速のインターバルトレーニングの質と量に応じてVO2maxは変動する.

トラックシーズンを終えマラソンのトレーニングに移行し、持久性のトレーニングの量が多くなると,VO2maxは若干低下する.図1はラドクリフのマラソンの全盛期に達するまでの1992~2003年のVO2maxの変動を示したものであるが,その間の変動範囲は約67~75ml/kg/min(12%)である.一般にほぼピークに達してからのVO2maxの変動幅は、男子が~10%,女子が~13%であることから,ラドクリフの変動幅は妥当なものである.

図1

VO2maxはマラソン走行中一定ではなく、5~10%低下することが知られている.この低下率はマラソンの記録が約2時間半以上かかる男子選手から得られたもので,それよりも速く走る男子選手や女子選手については定かではない.

2.最大酸素摂取量が出現した時のランニングスピード(v VO2max)

vVO2maxの持続時間は、1500mから3000mのレーススピードに相当する速さである.ラドクリフは,vVO2maxの持続時間の伸びに伴って5000mや10000mの記録もほぼ順調に伸び(図2:表1),2003年の2時間15分25秒の世界記録樹立のベースになっている.

図2

表1

彼女がどんな内容のトレーニングを実施していたかは判らないが,マラソンの挑戦を意識し始めた2001年頃にも、十分な高強度のスピードのトレーニンを実施していたことは,2002年や2004年に 5000mや10000mに自己ベスト記録,あるいはそれに近い記録を出していることから読み取れる.従って,マラソンに転向した後も、トラックシーズンでは積極的に高速度のスピードトレーニングを実施したことが考えられる.

3.ランニングの経済性(running efficient:RE)の変動

時速16.0kmのランニングスピードで計測したラドクリフの11年間の酸素消費量(RE)は徐々に低下し,ランニングの経済性が2003年に最も向上している(図3).VO2maxに増減があっても、REは断えずコンスタントに改善されている.このことは,VO2maxが定常状態に達したに後のVO2max変動に関係なくREは向上することを示唆している.

図3

持久性の走スピードとREの2つの能力が最も高まった年(2003)に、ラドクリフは驚異的な世界記録を樹立した.その翌年のアテネ五輪では5000mや10000mの記録から見る限り,彼女のベスト記録やそれに近い記録で走っていることから,暑さに弱い下馬評が現実になったのかもしれない.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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