科学エッセー(44)勝利を引き寄せるのは努力と辛抱

“努力”と“辛抱”は美徳であった.太平洋戦争が終了後はお金も物もない時代であったが,日本国民には復興のために頑張ろうとする強いポジティブな意志と精神力,そして,エネルギーがあった.

 

当時は,マラソンは“努力”の象徴で,学校では校内(耐寒)マラソン,村や町,市や県単位ではミニのマラソン大会が数多くあった.今から考えると,マラソンは敗戦の屈辱や悲しみを払拭し,貧しさに耐えながら努力し,最後までやり遂げる根性や勇気を鼓舞するのに都合のいいツール、手段であった.

 

日本経済が世界に類を見ないほど急速に復興し,新幹線が走り始め,道路に車があふれ,家庭ではTV,冷蔵庫,掃除機,洗濯機等が揃うようになると,いつの間にか“努力”だとか“辛抱”と言う言葉は、若者にとってダサいとか古臭い言葉になった.

 

それが目に見えるような形で現れたのは,全国津々浦の小学校に建立されていた江戸時代後期の農政の先駆者の二ノ宮尊徳(金次郎)像が撤去されたことである.

 

戦時中の鉄不足の時にさえ奇跡的に残った像の建立の精神が顧みられず,薪を背負い歩きながら本を読む姿は時代遅れだと表層的に判断されたのであろうが,筆者はその蛮行に悲しみを通り越して怒りさえ覚えた.

 

それは“努力”とか“辛抱”を否定し,苦労をしないで手軽に要領よく知識やお金を得ることが“かっこいい”と称賛され始める転換期でもあった.

 

翻って,来年に迫った東京五輪やパラリンピックを目指して努力の限界まで頑張っている各競技団体の選手たちは,まさに“努力“や“辛抱”を地で行っている.

 

努力するとは何か? 幸田露伴は『努力論』の中で,「努力をしているのだということを忘れて努力をすることが真の努力である」と述べている.すなわち,自分が努力していると感じている時はまだ真の努力ではなく,努力が生活化するまで昇華して初めて真の努力に達するとみなした.

 

斉藤兆史は『努力論』(2013)の中で努力する状況を表した事例として,①宮本武蔵の『五輪の書』では,「千日の稽古を鍛(たん)とし,万日の稽古を練(れん)として,日々目標達成に向けて一歩ずつ着実に歩んでいかなければならない」.

 

また,アスリートではないが,②発明王のトーマス・エジソンが「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」と述べたことを挙げ,「天才的な能力とは,無限に努力することである」,と述べている.

 

ヘビー級のボクサーのモハメド・アリはローマ五輪(1960)のライトへビー級で金メダルを獲得した.アリは,米国に帰れば英雄扱いされるだろうと考え帰国したが,帰国早々レストランで黒人だと罵倒され追い出された.

 

そこで,プロのボクシングチャンピオンになってみせるぞと心に誓って,五輪金メダルをケンタッキー州とインディアナ州の境を流れるオハイオ川に投げ捨てた.そして血のにじむような努力を重ねプロに変更して4年後に念願のヘビー級チャンピオンに上り詰めた.

 

その喜びもつかの間,ベトナム戦争反対を表明して徴兵を拒否.裁判で有罪判決を受け,すべてのタイトルとライセンスを剥脱された.それにも屈せず3年半のブランクを経て再びリングに上がった彼は,チャンピオンになるためには,当時40連勝中の無敵の若きチャンピオンのジョージ・ファアマンに勝たなければならなかった.

 

運命を決する試合は1974年ザイール共和国の首都キンシャサで行われることが決った.マスコミの下馬評では,脂の載った25歳のチャンピオンと,7歳年上のすでにピークを過ぎたアリとでは「勝負にならない」だけでなく「アリが再びリングに上がれなくなるのでは…」と懸念された.

 

そんな他人の心配をよそに,トレーニングと口は快調であった.「俺はチョウのように舞い,ハチのように刺す」「俺のパンチはフォアマンには速すぎる」と,相手を刺激し続けた.

 

試合は7回を終わるまではフォアマンの一方的な攻撃に耐え続けたが,フォアマンに疲れが見え始めた8回に入るやアリは猛反撃に転じ,瞬く間にチャンピオンをマットに沈めた。のちに「キンシャサの奇跡」と呼ばれた試合だ.

人々の記憶からその死闘が忘れられかけた1996年、アトランタ五輪の開会式に聖火を持つパーキンソン病のアリの痛ましい姿があった.サマランチIOC会長はアリにゆっくりと歩み寄り、首に金メダルをかけた.スタジアムにいた大観衆の拍手はしばらく鳴り止まなかった.その拍手は,アリの不断の努力と不屈の精神への称賛であった.

 

心理学者フロイトは快楽の原則の1つに「ヒトは快楽を求め,苦痛を回避しようとする本能がある」と言う.その本能的誘惑に負けず努力して努力する姿は称賛に値する.そして勝利を引き寄せるのは努力から得た自信と勇気である.

“冒険してやろうという勇気がないと,何も達成できないよ”

-モハメド・アリ-

 

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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