陸上競技のルーツをさぐる63

「やり投」の歴史<そのⅡ>

「やり投」における「アーメントゥム」の使用

「古代五種競技」の種目「やり投」に用いられた「やり」は、軽兵器で「アーメントゥム(Amentum)」と呼ばれる革製の「投げ紐」をやりの胴体部分に縛り付けて、これを図①のように使って投げていました。

紐は長さ28~30㎝、端に輪を8~10㎝ほど残して「やり」の中央部にしっかりと巻き付け、人差し指か中指を輪に入れました。紐はやりの重心の近くに付け、先の軽い競技用の「やり」には柄のほぼ中央部に、少し重い戦闘用・狩猟用の「やり」には先端寄りに付けました。この皮紐を重心よりも後ろに付けると正確性は失われますが、飛距離は伸びたのです。

 

この「アーメントゥム」は当時の練習場で考え出されたものではなく、戦闘や狩猟から経験的に生まれたものでした。欧州各地の古代遺跡から発掘された各種の「やり」にその痕跡があり、現代でもニューへブリデス諸島、ニューカレドニア諸島に住む原住民たちが行っている「やり投」の投法からも明らかです。

この紐を使うと、やりが手を離れるとき「アーメントゥム」に引きの力が働きます。これはライフル銃の「旋条」が弾丸に回転運動を与えるのと同様、「やり」に回転力を与えます。この回転力が「やり」の飛ぶ方向を一定に保つだけでなく、飛距離を伸ばして「貫通力」を増す役割を果たします。

 

18世紀になって、ナポレオン皇帝が、部下に試させた実験によれば、「アーメントゥム」を使うことによって「やり」は飛距離が60m以上も飛び、見ている周囲の人々を驚かせました。このことによって「アーメントゥム」の役割の重要性が証明されました。

 

古代の投法

1930年、N・ガーディナー博士の著書『古代世界の運動競技(Athletic of the Ancient World)』で、古代遺跡から発掘された絵壷や盃に描かれた絵図などから、古代には「やり」を水平に構えるものと、穂先をいくらか角度を付けて上に向ける2種類の投法があったと述べています。

水平に構える投法は、戦闘用や狩猟用など標的に向かって正確に投げる時に有効な投法で、実戦で使われるものでした。いざという時すぐに使えるように、兵士や狩人は指を常に「アーメントゥム」の輪の中に通しており、穂先を下にして持ち歩きました。実際に投げる時は、「やり」を頭と同じ高さに構え、腕を引いて狙いをつけます。これにより、「やり」は引いた時と同じ道筋を通って送り出されます。狙いの正確さと動作の敏捷さが重視されたことは言うまでもありません。

 

一方、飛距離を競う「やり投」は動作に時間的な余裕があるので、図版③のようにやりの穂先をいくらか上向きにし、投げる瞬間まで「アーメントゥム」を持つ手を見ています。後方に伸ばした腕とは逆の手で「やり」の先端を持ち、後へ押し付けて紐をいっぱいに伸ばします。助走はわずか2~3歩。やりを持った腕をさらに後方に引き、やりを手に乗せるようにして投げだしたようです。

 

この投法は今日の「やり投」競技の動作とほぼ同様ですが、「アーメントゥム」を使用しない今日の競技では利き手の方を見る必要はありません。助走距離を十分に取り、スピードを有効に使って投げることができます。

 

古代における「馬上からのやり投」競技について

こうした助走を使っての「的当て」や「飛距離」を競う競技のほかに、古代には「馬上からのやり投」を競う競技もありました。ギリシアの哲学者プラトン(Platon)は、アテネの政治家であり将軍であったセミストクレーズ(Themistocles)が息子に馬上で立ち上がった姿勢から、「やり」を投げることを教えたと記述しており、これが有効な技であると推奨しています。

さらに同じギリシアの歴史家クセノフォン(Xenophon)は、騎兵将校の義務について述べた論文で、将校は部下に対して「馬上からのやり投」を推奨すべきであると力説し、馬術に関する論文でも詳しく解説しています。

 

アテネでは紀元前5世紀ごろには、この種目の競技会が行われていていました。「パン・アテネ競技会(Panathenaic Game)」では、優勝者には両手付きの油壺が5個、2位のものには1個が与えられたと記録されています。テッサリアやギリシアの各地でも同様の競技が実施されていました。

 

写真図版の説明と出典

  • 「アーメントゥムの使い方説明図」『Athletics of the Ancient World』(1930) E. Norman Gardiner著p171(Ares Publishers Inc. Chicago)
  • 「アーメントゥムを使って水平に構えて「やり」を投げる図」『ギリシアの運動競技』(1981)E.N. ガーディナー著 岸野雄三訳 p190 (プレスギムナスチカ)
  • 「飛距離を競う古代競技の「やり投」で「アーメントゥム」を使用している図<青銅の円盤に彫られたBC450年頃の作品>(著者Mandel氏の収集品より)」『Sport―A Cultural History―』(1984) Richard D. Mandel著(表紙写真)(Columbia University Press, New York)
  • 「馬上からの「やり投」の図(アッチカ黒絵式ヂィーノス型杯、BC560年頃の作)『①と同上書』写真No.140
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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