科学エッセー(臨時)新型肺炎よる大会中止は?

中国武漢に端を発した新型コロナ・ウィルスが、この3ケ月ほどで世界中に蔓延し世界を震撼させている.

21世紀に入って世界に広まったウイルス性の感染症の致死率はSARSが約10%,MERSが約35%であったのに対して,コロナウイルスの致死率はわずか2%とそれほど恐れる必要もないようにみえる.

しかし、得体の知れない感染力と感染の速さ,あるいは,いまだに特効薬が見つからない不安は不気味さを感じさせる.

特に日本では7月以降に2020五輪とパラリンピックを控えているだけに,自国だけでなく世界中のコロナ・ウィルスの感染が早期に沈静化し収束することを強く願っている.

人類誕生当時は,大型食肉獣などが生息する自然界の中で,日常的にその脅威にさらされながら生活していた.当然ながら衛生状態が悪く,ヒトがケガや病気をした場合は,体に備わっている免疫力や抵抗力だけが頼みの綱であった.

彼らは例え感染症に罹ったとしても症状が軽く,早く治癒することや回復力に優れていたのであろう.それに対して,現代社会に生きる人間は,テクノロジーの進展に反比例して病気に対する抵抗力や病気に打ち勝つ生命力が弱まってきたと思われる.

現代人は感染症に対してほとんど無防備と言える.病気になれば病院に行き、薬をもらえばいいと言う安心感と気軽さがある.

では感染症に対する抵抗力や免疫力を高めるために何をすればよいのだろうか.教科書的な防止策は生活環境と生活習慣をもう一度点検することであろう.

環境は感染症が少ない方がいいので人ごみを避けること,習慣では,日頃から栄養,睡眠,規則正しい生活を実践することと,外出時にマスクをし,帰宅後には手洗いやうがいをすることであろう.

 

コロナ・ウィルスの蔓延で、スポーツの試合や練習の自粛が叫ばれている.それはスポーツ選手に対する配慮ではなく,それを観戦する人々への感染予防が主目的のように思える.

その根底には,スポーツ選手は定期的にスポーツをしていないものに比べ風邪を引き難いと信じられているためであろうか.ところが、学術的な研究では逆の傾向が指摘されている.

1932年にすでにバエツジャー(Baetjer)博士が,筋疲労が感染症(風邪やインフルエンザ,肝炎,肺炎や結核,百日咳、流行性角結膜炎など)に対する抵抗力を弱め,特に呼吸器系の感染症に罹りやすいことを明らかにしている.

その後,今日まで多くの研究者がその原因について,スポーツの種類や強度・時間と感染症や免疫機能への影響及びそのメカニズムについて追究している.

その結果をレビューすると,規則的な運動習慣は感染症の予防に効果があるが,その一方で激しい長時間のトレーニングや大会出場は一時的に免疫機能を低下させ,風邪の罹病リスクを高めると言う.

 

例えば,スポーツと感染症の研究の第一人者の米国アパラチアン州立大学のニーマン博士は風邪の罹病リスクと運動の強度との関係が緩やかな“Jカーブ”を描くことを明らかにした.

すなわち,運動を全くしないと風邪のリスクが高まるが,適度な運動強度では風邪を引き難くなる.さらに強度や運動時間を高めていくと,感染症の罹病リスクは急激に高まる.

どこまでの強度が安全でどの程度の強度を超えると危険であるかのターニングポイント(変移転)については、まだ研究者の間で十分コンセンサスが得られていない.

ニーマンは2007年のショートレビューで,空腹状態で最大酸素摂取量の55~75%(心拍数では約150~170拍/分)の中・高強度の運動を1.5時間以上持続すると,体内の免疫機能不全が進行して感染症の罹病率が急激に高まると言う見解を述べている.

一般に,スポーツ選手に多い症状は咽喉痛や風邪に似た症状である.

 

この事実を実証するためにニーマンは,ロサンゼルス・マラソンの完走者がレース後どの程度感染症に罹ったかを追跡調査している.

この報告によると,レース1週間以内に風邪に罹ったランナーは12.9%とレースに参加しなかったランナーの2.2%に比べ6倍ほど多くなっていた.特に,マラソンレース前2か月以内に風邪に罹ったランナーでは約40%が風邪にかかっていた.

さらに調査し,1週間の走行距離が96㎞超えるランナーは32㎞以下のランナーに比べ風邪を引く確率が有意に高くなることから、走行距離からみたターニングポイントは96㎞/週であると推測した.

また,レクレーション的なランナーでは,42km /週以上走っているランナーは25㎞/週未満のランナーに比べ風邪にかかる割合は低いことを報告している.

 

今回の新型コロナ・ウィルスと風邪とを単純に比較することはできないが,少なくともランナーに限定して運動の強度や時間と風邪の発症傾向からみると、ランナーがマラソンレースに出場すると風邪の罹病率を約6倍高めることになる.

従って,マラソン大会の中止は妥当な選択肢だったと言える.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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