科学エッセー(37)スポーツと五感

科学技術の進歩に伴って生活の中で五感を活用することが減少し,人間が本来持っていた鋭敏な五感が徐々に薄弱になっていると懸念される.この現象は“五感の危機”と呼ばれている.

 

例えば,ヒトは,多種多様な匂いにさらされながら,あるいは,それを判別しながら生活している.ところが最近,職場や家庭では体臭(ミドル脂臭),加齢臭,生活臭等のさまざまな匂いが消臭剤等で消され,芳香剤で人工の匂いに置き換えられている.

 

またかつてヒトは,賞味期限をわずかに超えた食物の変化をまず視覚や嗅覚で見分け,それで不十分であれば味わってみて,食用としての可否を判別したが,今は賞味期限の数字を目で見て判別している.

 

かつては空を見上げて雲の流れを見て,周辺の山に雲がかかると雨が降るといった判断をしてきた.近年では,IT器機の普及によって,気象庁の時間刻みの気象情報をもとに判断する.

 

また,これまでドライバーは,歩行者や自転車,あるいは,他の自動車等を目で確認しながら安全運転に努めていたが,自動運転車が実用化されると,自動車に備えられたAIがすべての情報をキャッチ・判断して安全に目的地まで運んでくれることになる.

 

乗車している者は大脳や視覚・聴覚等の感覚をほとんど使わなくてよくなる.それは五感を使わないだけでなく,ヒトがドライブする楽しみや達成感・充実感を得る機会をも奪うことになる.

 

科学やテクノロジーの進歩・発達に伴って五感の出番が少なくなったのは確かである.その一方で,スポーツや芸術の世界では感性は一層研ぎ澄まされ,スポーツや芸術の究極の技や美を追求してきた者の感性は名人・達人・超人の域に達している者も少なくない.

 

田中聡著の『匠の技』(2006)では,各分野の『超人』と呼ばれる鋭敏な感覚や卓越した技能を持つ11名のプロフェショナルを紹介している.例えば,暗闇の浜名湖で古くからおこなわれてきた“たきや漁法”(小舟の舳先に水中灯をともし,子船を操りながら照らし出された魚をモリで突く漁法)の名人(藤田義夫氏)は,漁をする時には魚を生かしておくように頭部を刺す高度な技術を身に付けている.

 

この他,水道水に含まれる汚染物質のチクロを百億分の1までききわける利き水の専門家,ピアノの音を超人的に聞き分けるピアノの調律師,大型トレーラーをcm単位で操るドライバー,ヒトの往来の雑踏や喧噪の音の広がり,街に漂う多様な臭い,空気の圧力感,風の流れなどの情報を右手の甲で読みながら闊歩する視力障害者など,究極の感性の達人がいる.

 

著者の田中は,これらの人並外れた感性は,金銭的な冒険をし,時には生活の破綻や身の危険を覚悟しながら,常にギリギリの選択を強いられる中でしか育たない,と言い切る.

 

モンゴルのゲルに住む遊牧民の1人は,「羊の群れの数は一瞥しただけで判る.我々は何百匹もいる羊の顔と名前を憶えている」,と胸を張る.筆者には羊の顔がすべて同じに見える.記憶力がいいだけでなく何か識別できるコツを覚えているのであろう.

 

スポーツの世界では,例えば,物を投げる投てき選手や野球選手は投げる物やボールを持ち歩き,手の中で感触(摩擦や肌触りなど),形容,重みなどを確かめるように転がしている.ラケット種目のテニスやバトミントの選手は8角の形容になったラケットのグリップを手で感触を確かめることで,ラケットの面の方向性を記憶する.

 

これらの行為は身物一体とし,投げる物やラケットを手の一部のように操ることを可能にする.サッカーやラグビー選手も走りながら,刻々と変わる相手の布陣や味方の選手の動き,走るスピードやパスの方向性やタイミングを計りながら,チャンスとみるやミリ単位の正確性でパスやシュートを放つ.これら適切な動きができる選手は名手である.

 

サッカーのJリーグの初代会長だった故長沼健氏は「90分の試合中に個人がボールを保持できる時間はわずか約2分である.この2分を生かすために88分間走りながらチャンスを待つ.めぐって来た2分間に何をなすべきかを考え準備してきた選手に超一流の才能を見出す」と述べていた.

 

JOC会長に就任した山下泰裕氏が現役時代,体協のスポ研で強化選手の体力測定を行っていた時,記者の1人が山下氏に近寄り「他の選手に比べて筋力が高くないのになぜあなたは強いのですか」と質問した.山下氏は「私は相手の襟を手でつかんだ時、相手が何を考え,どんな技をかけようとしているかがの手に取るようにわかる」と言い切った.

 

ロードレースのマラソンや競歩選手,自転車のロードレーサーは,秒単位で正確にペースコントロールを行い,選手自身の疲労度と残された距離を絶えず自問自答しながら持続可能な最高のペースを維持・調節している.

 

これらのスポーツ選手にみられる究極の感性は試行錯誤を何度も繰り返すことによって,本能として身体に染み込んでいる.ヒトの感性や情報の質や量はこれまでにどれだけ五感を使ったかによって個人差が生じるのであろう.

 

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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