エッセー(19)続・モニタリングトレーニング

東京五輪の期待の星・競泳女子の池江棃花子選手はツイッターで白血病であることを公表した.世界の水泳界のトップ選手だけにその反響は世界のスポーツ界まで広まった.日本水泳連盟は同じ日に記者会見を行い,白血病の早期発見(?)に至った経緯について説明した.

 

豪州への高地合宿に行く前の競技会での彼女が最も得意とするバタフライの記録が自己記録よりも約4秒遅かったことを考えると,もし,モニタリングトレーニングが実施されていれば客観的にからだの異変に気づき合宿参加の是非がその時点で検討され,もっと早く対応できたであろう.記者会見でのコーチの説明は主観的な話に終始し,欧米諸国に比べ日本の水泳界の選手の健康に対する意識・体制つくりがいかに遅れているかを露呈した.

 

すでにエッセー(18)にも書いたように,世界のスポーツ界では選手の健康を第1に考えたモニタリングトレーニングが10数年前から始まっている.例えば,オーストラリアとニュージランドの両国の優れたスポーツ指導者100名を対象にしたモニタリングトレーニング実施状況に関するアンケートでは,回収率55%の中90%がモニタリングを実施していると回答している(Taylor et al,2012).

 

ではなぜ日本のスポーツ界では選手の疾病やけがに対する早期発見の体制つくりが遅れているのであろうか.まず第1に,日本スポーツ界では伝統的に,選手の健康は選手自身が責任を持って対応してきたからである.なぜなら日本人は感性が豊かで客観的データよりも主観を重んじる傾向が強い.そのため選手自身が身体の異常を主観的に感知し,もし異常を感じれば指導者に申し出るか,直接病院で診断を仰ぎその結果を指導者に報告する.

 

それに対し,欧米のスポーツ界では選手自身が感覚的に身体の異常を感知するだけでなく,日常的にモニタリングを行い客観的にも身体の異常を認知するように努めている.すなわち,選手の健康問題は選手だけでなくチーム全体の問題として取り組んでいる.

 

第2に,日本の企業や学校では重篤な傷害や死亡事故でない限り,選手の疾病やけがで指導者の責任が問われることはきわめて稀である.ところが欧米では指導母体がスポーツクラブであるため,けがが頻発するとクラブの評判が悪くなり経営にも影響する.また,将来有望な選手が指導上の問題でけがをすると,クラブや指導者が裁判に訴えられることもある.そのため,クラブの経営者や指導者はけがや疾病に対して細心の注意を払うだけでなく,その予防と早期発見の体制も充実して選手の健康や安全(ソフトやハードの備えなど)面の充実度がクラブの謳い文句になる.

 

第3に,身体の異常は本能的な要素と経験や知識の学習による直観的なものとの総合された能力によって感知される.その異常は求心神経を経由して大脳に伝えられるものの,とかくスポーツ選手は体力に自信があるだけ率直に受け入れない.すなわち,危険に瀕しても自分だけは大丈夫だとリスクをなるべく差し引いて考える「正常化の偏見」にとらわれがちである.

 

例えば,主観的に自分は病気かもしれないと感じても,いやそんなことはないと否定したり,重篤な疾病の前兆であってもたいしたことではないと割り引いて考える.そのため,対応が遅れ結果的に手遅れになることも少なくない.このような主観的な判断の危うさに比べ、モニタリングによる客観的データはその異常さを論理的に証明するとヒトは納得せざるを得ない.

 

スポーツ選手は身体が資本である.個人が自分自身のからだに留意するだけでなく,所属チーム全体で対応すべきである.なぜなら,1人のけがや疾病はチーム全体に負の影響を与えるからである.スポーツでのトレーニング(刺激)はからだを疲労させる行為である.この疲労を回復させる過程で,からだへの刺激に対して適応するのである.

 

従って,身体への刺激→疲労→回復→のトライアングルが正常に機能していれば,けがや疾病を未然に防ぐことになり、その程度は軽くなる.すなわち,コーチはトレーニング(疲労)させ,トレーナーは早く回復させ,モニタリング管理者はそれらを総合的に監視し,トレーニングの内容・成果・安全性をチェックするのである.

 

モニタリングの主な項目は表1のごとくである.モニタリングトレーニングは直接パフォーマンスを高めるものではない.ヒト・モノ・カネと時間・仲間・空間を要する地道な行為ではあるが,選手が将来大きな花を咲かせる原動力となる.

 

表1モニタリングはいつ、どんな項目をモニターするか
(ただし,スポーツ種目の特性に応じて取捨選択をすること)

1)毎日実施

① 体重,体脂肪量,体脂肪率

② トレーニング時間・場所・内容(強度・頻度・距離等)に合わせて

HR & GPS, HRrest, HR変動(HR variability)血圧等を記録する

③ 主観的疲労感

④ 睡眠の深さと長さ(就寝と起床時間)

⑤ 主観的食欲

⑥ ストレッチやマッサージなどの実施状況

⑦ その他(タイムトライアルや試合での成績等)

 

2)1週間~1か月ごとに実施

① 心理的疲労診断テスト

(Recovery-Stress Questionnaire for athletes あるいは POMS)

 

3)3か月~6か月ごとに実施

※ただし,シーズン制のスポーツはイン前とアウト後に行うのが望ましい

  • 基礎体力テスト(筋力(パワー),垂直跳び,立ち幅跳び,持久力(1500m・シャトルラン・12分間走)等,専門種目に有効な種目を選択する)

②  選択性反応時間テスト

  •  全身持久性能力テスト(最大酸素摂取量(VO2max),乳酸性閾値のランングスピード(vLT)での経済性と酸素摂取水準(%VO2max)

④ 生化学的テスト(血液検査や尿検査:クレアチンキナーゼ,ホルモン検査(テストステロン/コルチゾール比:30%以下はオーバートレーニング)

  •  免疫(免疫グロブリンA,ウィルス性感染症)
  •  社会的モニタリング(選手・家族・指導者・チーム相互の人間関係)

(Daily Analysis of Life Demands for Athletes(DALDF))

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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