陸上競技のルーツをさぐる28

走高跳の歴史<そのⅠ>

跳躍4種目の歴史の項を始める前に

陸上競技における跳躍種目は現在、男女とも走高跳、棒高跳、走幅跳、三段跳の4種目だけですが、人類が古くから行ってきた跳躍の動作がこの4つに限られているわけではないことは容易に想像できます。このことは欧州諸国の「跳ぶ」という言葉の意味やその語源を探っていくと良くわかります。

 

英国では、上記の4種目等の「跳躍」を表す言葉として、よく知られる「jump」という語よりも「leap」の方が日常的に使われています。この2つの言葉の違いについて『Oxford英英辞典』をひも解くと、「leap」については「走る」や「跳ぶ」を意味する独語の「laufen」やオランダ語の「loopen」を起源とする古い英語の「leapen」から転じて近代になって使われるようになった言葉です。

 

一方、私たち日本人が「跳ぶ」とか「はねる」という言葉として一般的に使っている「jump」という語は、英語として16世紀以降に使われ始めた比較的新しい言葉です。「上や下に動く」ことを意味する独語の「gumpen」、オランダ語の「gumpe」、スウェーデン語の「gumpa」や「guppa」とか,アイルランド語で「スキップをする」という意味で使われている「goppa」と起源が同じ「跳び上がる」というニュアンスを持つ言葉であると説明しています。

 

こうして見てくると、「leap」はどちらかというと走幅跳や三段跳等の「前方への跳躍」の時に用い、「jump」は走高跳、棒高跳等のように「上方への跳びはねる」時に使われてきたようですが、古い時代にはこの両者は混同されてきたようです。

「走高跳競技」の誕生までを考える

太古の時代、私たち人類の祖先は獲物を追い山野を駆け巡る生活のなかで、小川や溝を跨ぎ越したり、それほど大きくない石塊や前方に立ちふさがる障害物を飛び越すような行動を繰り返してきました。しかし、こうした前方への跳躍動作に比べて上方への跳躍を行う際には、着地点が整備されていない場合は障害物が身長より低くても「走幅跳」以上に着地で身体に加わる衝撃は大きくなります。

 

まして、身長より高い所を飛び越すような時には、脚や足を負傷する恐れがあります。そこで、木切れや棒等の道具を使うことによって高所を飛び越す手だてを思い付き、危険な動作は極力避けてきたものと考えられます。

 

後の時代になり、軍事的な目的で眼前に立ちふさがる岸壁や土手、城壁などを越えなければならない時には、負傷を避けるために棒・縄・はしご等の用器具を利用。あるいは、眼前の障害物に直接よじ登ることによって、その場をしのぐケースもあったと思われます。

 

走高跳が陸上競技の種目として採用された時期が遅れたのは、以上のような理由だったと考えられます。「古代ギリシア競技」において走幅跳が古くから行われてきたのに対し、走高跳が行われた形跡がほとんど見当たらないことからもこのことは証明されます。

 

一方で「走高跳」やこれに似た競技形式は、アジアやアフリカの原住民の間で、立派な運動能力を持った若者の「成人のあかし」や「わざ比べ」として広く行われてきたほか、世界のさまざまな地域の民族競技として数多く実施されてきた形跡があります。

競技化以前の「走高跳」の様子と現在に残る記録

1920年から30年代に英国陸連のヘッド・コーチを務めていたF・ウエブスター氏は、29年に著した『Athletics of Today』という陸上競技入門書の中で、かつて、R・ロッスティン大佐からカナダの材木切り出しをしている労働者が、仕事着で5フィート8インチ(1m73)を跳んだことを記しています。また、自らがアフリカの奥地を探訪した時、原住民が「素足」で6フィート(1m83)を跳ぶのを目撃したとか、奥地の部族のなかには7フィート(2m13)を跳ぶ能力を持つ者がいるという話を聞いたことも紹介しています。

 

ウエブスター氏がこの本を著した当時の走高跳の世界記録は、1924年に米国のH・オスボーン選手が出した6フィート8インチ(=2m0383)でしたから、7フィート越えは考えられない高さだったと推察されます。ちなみに世界記録が7フィートに達したのは、第二次世界大戦後の1956年にC・デユマス(米)が成功した時。ウエブスター氏の出版から27年も後のことでした。

 

世界にはさらに優れた跳躍能力を持った民族がいるようです。ウエブスター氏が見聞したのと同じ地域のタンガニーカ、ウガンダ、ケニアなどを含む東アフリカ北西部に住むウァツッシ族(Watusssi)の中には、190~220cmの長身で素晴らしい跳躍力を持った人がいるとのことです。

 

1907年には、ドイツのメクレンブルグ候アドルフ・フリードリッヒ公を中心とする探検隊がこの地に入って原住民の生活を観察した記録があります。それによると、ウァツッシ族の人たちはバーの代わりにひもを使い、白アリの巣を踏切台にして隊員の頭上より高い所を軽々と超える跳躍を見せたといいます。ウァツッシ族の人たちの平均記録は2m50程度で、当時の五輪記録を50~60cmも上回っており、隊員たちを驚かせたそうです。

 

フリードリッヒ公の副官のヴィーゼ中尉は、この地では少年でさえ立高跳で1m30~2m程度を跳んでいると記録しています。ライプチッヒ大学のヴィーデンフェルト教授も「自分の身長を跳び越せない若者はいなかった」と報告しています。

以下次号

図版説明と出典

① 「ウァツッシ族が走高跳を行っている様子、後方はフリードリッヒ公とヴィーゼ中尉」
『スポーツの民俗学』(1954)今村嘉雄著 p25 (大修館書店)

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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