エッセー(11)スポーツにみられる非言語的コミュニケーション

中教審でも指摘されているように,現在の学校教育ではコミュニケーション能力の重要性が叫ばれている.この時のコミュニケーション能力は言語的コミュニケーションに限定されているが,スポーツでは非言語的コミュニケーション能力が特に重要視される.

今日の情報化時代では1人当たり1年間の情報量は43億字と推定され,それは1冊約千円程度の単行本では約10万冊に相当する活字である.その情報のほとんどは目と耳を通して得られるが,例えば,目は1秒間に430万ピット処理できるが耳はわずか8000ピットの処理能力しか持たない.

すなわち,処理能力から言うと目は耳の530倍の能力に相当する.このことは,ヒトの非言語的コミュニケーションは全コミュニケーションの93%を占めていると考えられる.

スポーツの非言語的コミュニケーションではジェスチュアやサインの他に表情・動き・フォーメーション等から視覚と感性を通しての情報を獲得し,さらに,それに対応する敏速な判断・動きが求められる.特に,見た目の現象から次に起こるであろう近未来を見通す能力(読み)が重要となる.

サッカーのJリーグ初代会長の長沼健氏は『11人の一人』の著書の中で,90分の試合中に選手がボールをキープするのはわずか2分である.その残りの88分は状況に応じて効果的に対応できるように,また,自分がボールを保持したらどう処理するかを考えながら走ったり歩いたりしている.

特に伸びる選手はボールから一番遠くに位置した時(最も試合の状況が見える位置),試合の情勢や流れ,敵・味方の布陣を正確に読み,さらに,絶えず変化する情勢に敏速に,正確に,対応できる,と述べている.

松坂(当時西武)投手はプロに入団した時すでに150㎞/hの剛速球を投げていた.研究者仲間では150㎞/hのスピードボールを投げた時,果たしてバッターはそのボールを打てるか否かが話題になったことがある.

例えば,150㎞/hのスピードボールを投げると打球点に到達するのは約0.4秒後である.バットのトップが動き始めて打球点に到達するためには約0.2秒要する.従って,大脳が“打て”と命じるまでの時間は0.2秒以内でなければならない.ピッチャーの手を離れて0.2秒以内にボールの軌道・球質・位置を一瞬に判断して“打て”と命じることができるか否かが,打てるか打てないかの分かれ目であった.

その時の議論の態勢は否定的であった.しかし,ふたを開けてみればこれまで経験したことのない剛速球にとまどう者の多い中で,ホームランを難なく打つ選手がいた.近鉄の中村(紀)選手である.松坂投手が最も得意とする高めのホップ気味の剛速球を豪快に振りぬいてホームランを打つのである.(筆者はそれが観たくて松坂が投げる西武-近鉄戦をよく観た.)

晩年になって中村選手は松坂投手のボールを打つ自信がないので,三振を覚悟で彼が最も得意とする高めのボールだけを狙って打っていた,と述懐していた.そのためか中村選手は松坂投手からの三振数が最も多かったように記憶している.これが正当な“読み”なのか否かは別にして,ピッチャーとバッターはいつの時代にもこころの読み合い(会話)をしている.

ケン・ウィルバーは『意識の進化論』の中で,意識は経験を通して進化するがその時3つの過程を経る.最初は①肉眼で見えることしかわからない(前意識)が,徐々に②トレーニングを通して獲得した知識の蓄積から予測・予知によって行動できるようになり(自己意識),さらに,予測・予知を試行錯誤して精度を高めていくと,③理屈でなく時空を超えて先が読め,見えてくるようになる(超意識),と言う.

ただし,この意識の水準は努力の究極の到達点であるが,天才と呼ばれる人はほとんど努力せずして到達できる.身近なプロ野球の選手で例えればイチロー選手であろうか.全盛時代のイチロー選手がエンゼルスの大谷選手が投げた160㎞のボールをどう打つのかを観たかったのは筆者だけではないだろう.

陸上競技では“読む”行為を半ば禁止されているのが100mのスタートである.かつて,名スターターと呼ばれていた大先輩の佐々木吉蔵氏や松田岩男氏が日本インカレでスターターを務めることがあった.

彼らのヨーイからピストルが鳴るまでの所要時間はジャスト2.1秒であった.この時間間隔に合わせてトレーニングしておけば誰よりも早くスタートできると学生時代に仲間と真剣に話していたことを思い出す.

ヒトは“読む”行為,例えば,こころを読む,雰囲気を読む,社会・環境・気象の変化を読む,気配を読む,時を読む,リスクを読むなどの非言語的コミュニケーションを行っている.

ヒトはからだの暗黙の警鐘が鳴っているにもかかわらず,自分は病気になることはない.大丈夫だ,とリスクを値引いて受け取るのが社会心理学で言う“正常化の偏見”である.科学技術の進歩はヒトの“読む力”を退化させている.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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