エッセー(10)川内優輝選手にみられる“丸ごとトレ”

教育方法には分習法と全習法がある.例えば,バスケットボールでは技術をパス,ドリブル,シュートなどに分け,これらの技術が上達したらパス+ドリブル+シュートを組み合わせて学習し,徐々に試合形式に進める分習法と,主に試合を通してバスケットの総合的技術や体力,戦略を学ぶ全習法がある.

マラソンランナーはレースが42.195㎞であるため,100mや1500mの選手のように日頃のトレーニングでタイムトライを行うわけにはいかない.そこで,マラソンランナーはレースよりも短い距離(20~30㎞)をより速く走るとか,インターバル的に繰り返えし高速で走ったり,ファートレック走のように自然の地形の変化に応じて緩急をつけて走ったりして,マラソンを走り切る体力や技術を総合的に高める.筆者はこの種のマラソントレーニングを“切り身トレーニング”と呼んでいる.

これと対照的な“丸ごとトレーニング”は,主にタイムトライアル(あるいはレースを主体にスケジュールを組む)やレースに参加しながらマラソンに必要な体力や技術,あるいは,ペース戦略を体得する方法である.

すなわち,からだが必要とする栄養素を摂取する際,“切り身”は魚の一部分の栄養素,例えば,たんぱく質や脂肪に限られるため,他の栄養素を別メニューで補わなければならない.これに対して,“丸ごと”は小魚を頭から尻尾までの全身に含まれる栄養素を一度に摂取することができる.従って,マラソンで言う“切り身トレーニング”は種々のトレーニングを組み合わせてトレーニングすることによって,マラソンに必要な総合的な体力を養成することになる.

このトレーニングの特徴は短い高速の維持能力を高めるものの,フィニッシュまでそれを維持できるか否かは不安である.なぜなら,トレーニングの中でタイムトライアルをする機会がなく,レースに臨んでみないと分からない不安がある.

一方,“丸ごとトレーニング”では,レースまでに複数回のマラソンレースに挑戦し,マラソンに必要な体力,技術,その日の気象条件や体調からペース戦略を適切にコントロールしながら走る能力を習得できる.しかし,ペースを知りすぎるために安全と確実性を重要視する傾向がある.

日本人の一流マラソンランナーのほとんどが前者の“切り身トレーニング”を実施している.“丸ごとトレーニング”を行っているのは公務員ランナーと呼ばれる川内優輝選手が代表格で,その他,一般市民ランナーの中にもみられるが少数である.

この両者のトレーニングにはそれぞれ長所・短所がある.川内選手が行ってきた細かなトレーニング内容はわからないが,推測するに主のトレーニングを土・日に置き,ウィークデーは主に疲労回復とピーキングトレーニングを行っているのであろう.

しかし,この種のトレーニングは20㎞~マラソンまでの安全で安定したペースに対する持続可能なスピード力が養成されても,それよりも一段と速いスピードの持続能力が不十分になり,主要なマラソン大会でのハイスピードのレースでは安定したペース維持が困難になる.

彼がしばしば見せた30㎞過ぎてからの一時的なペースダウンはそれを象徴している.すなわち,彼はレースの気象条件や体調に応じた適切なペース維持を熟知しているが故に安全・安心の1つの殻から抜け出せず,トップ集団に付けるところまで付いて後はどうにでもなれと言う未知の記録に挑戦ができなくなっている.

しかし,彼は体調の好不調,気象条件,コース特性,ライバルなどの有無に関係なく,それなりの記録で走破している.その結果,ギネスブックにも紹介されているように,2時間15分以内でマラソンを完走した数が78回を超え安定度で世界記録を樹立したのである.

一方,“切り身トレーニング”を行っているランナーは仲間と切磋琢磨して短い距離をハイペースでトレーニングしながらマラソン力を身に付けている.しかし,マラソンの経験不足からペースと距離に不安が残る.それでも,レースで調子がいいとそのまま突っ走ってしまう頼もしさと危うさを有する.その結果,時に想定外の記録を打ち立て,うまくいかない時はマラソンの苦しみを存分に味わうことになる.

ウルマ(1996)は,マラソンのスタート前にこれまでの経験や知識からレース途中に大幅なペースダウンが生じないように、安全で安定の維持可能なスピードをイメージしている(「安全予知理論」)と言う.さらに,タッカー(2009)は,レース中に末梢(脚筋)から求心性神経を介しての情報を基に,残されたフィニッシュまでの距離とエネルギー量や筋肉の疲労度を考慮して,大脳は絶えず微調整を行っている(「中枢制御理論」)と言う.

その時,安全で安定したペースをキープするのか,それとも,冒険を選ぶのかによってペースは異なってくる.川内選手は心の殻から抜け出せずに前者を選ぶのであろう.これも1つの“マラソン道”である.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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