科学エッセー(33)なぜ起きるスポーツ界の不祥事

いよいよ2020年東京オリンピック・パラリンピック開催年を迎えた。五輪ムードも日増しに高まり,各競技団体の選手強化も一段と熱を帯びている.

その一方で、昨年の日本スポーツ界はボクシングやラグビーの連盟・協会の助成金不正流用,陸上競技の不適切な鉄剤注射の問題,レスリング,大相撲,野球,柔道,アメフト等,相次ぐパワハラ問題や不祥事がマスコミ誌上をにぎわした.礼儀正しく,高潔・高邁、法令遵守を標榜するスポーツ界だけに社会に与えるマイナスイメージは大きい.

読売新聞はスポーツ界の不祥事を社説に取り上げ,「競技団体が先頭に立って,正しい指導方法を現場に浸透させ,選手のモラル教育を徹底することが・・・ひいては日本選手の強化につながるだろう」と述べている.

ではなぜこの種の不祥事がスポーツ界で頻発するのであろうか.

元東大教授猪飼(猪飼,1968)は半世紀前に三位一体の教育の重要性を指摘した(図1).

これによると,ヒトの行動をコントロールする神経組織には,

  1. 最も原始的な反射的行動を司る脳幹・脊髄系(以降「身体脳」と呼ぶ),
  2. 喜怒哀楽などの情動的行動を支配する大脳辺縁系(以降「情動脳」と呼ぶ),
  3. 創造や想像などの理知的行動を支配する大脳皮質系(以降「理知の脳」と呼ぶ)

がある.

反射的な行動を司る身体脳は身体の教育(体育)と,悲しみや喜びなどの感情をコントロールする情動脳は情動の教育(徳育)と,さらに,知的活動を司る理知の脳は理知の教育(知育)と密接に関係する.

猪飼はさらに,現在の教育が知育偏重で徳育が不足し(近年徳育は教科となったが,猪飼が考えているのは知的道徳でなく行動的道徳を指している),体育はある程度行われているが、知育や徳育とあまり関係なく行われている.そのため現行の教育は,知力と徳力と体力(三位)の中で、特に情操や情動の教育が不十分なままと述べている.

スポーツでは競技レベルが高くなるにつれ、迅速な判断やスピーディーな動きが求められる.スポーツでは大脳で考えた動きやフォーメィションが合目的的に身体で表現できるように,何度も何度も同じトレーニングを繰り返す.そのトレーニングは物事をよく熟考し行動するのではなく、ほとんど反射的に迅速に行動することを容易にする.

また,ボールゲームなどは現象が現れる前に相手チームの選手の動きや仲間の位置などから予測・予知(経験知や感覚知などによる読み)を駆使して逸早く対応することができるようになる.

そのレベルでは情動脳や身体脳が主体的に働く.このような事実を評してあのブルース・リーは「考えるな,感じろ」と言った.また,スポーツ選手は普段の生活の中でも物事を理知的に思考して行動するよりは,その場の雰囲気や感情に流されやすくなる.

わが国では高校や大学進学の際一芸に秀でたものを対象に,特別枠での入学制度がある.そのことも三位一体の教育を難しくしている.なぜなら欧米の多くの大学は「入学しても学業成績が悪いと大会に出場させてもらえないし,卒業もできない」厳しさがある.

かつてケニアのエリートランナーはアメリカンドリームを求めて米国の大学へ入学したが,学業に苦しめられアルコールやクスリにおぼれる選手が少なくなかった。そのため,ケニア選手は今日ではほとんどアメリカへ留学していない.わが国では「入学させた以上,卒業させなければならない」という古い慣行があるので,海外の留学生が多くなっている.

心理学者のフロイトは,精神機能が支配する行動の基本的原則のひとつが「不快を避け,快を求める」行動である,と言う.またデカルトは,「精神(理知脳と情動の脳)が身体を動かす」と述べ,理知の脳と情動脳がヒトの行動を制御しているとみなしている.

先に述べたように,ヒトの行動規範は理知の脳が情動脳を厳しく制御することによって形成される.エリートスポーツ選手はマスコミに取り上げられ英雄視される機会が多い.そんな選手が引退すると指導者として迎えられる.“名選手、名監督にあらず”.なぜなら,両者の職務に共通性が少ないからである.

日本には「勝てば官軍・・・」という言葉があり,勝てば世間はその争いの経緯や大義がどうであれ正当化する傾向がある.日本通の文化人類学者のベネディクトは「西洋の文化は“罪の文化”,日本の文化は“恥の文化”」であると分析している.勝つことを強く意識し過ぎると,恥や外聞も相手を思いやるこころも薄れる.本来それを制御するのが理知の脳であるはずだが・・・.

最高のトレーニングは指導者と選手の信頼と愛情の上に築かれる.そこには“パワハラ”容認の心情はない.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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