科学エッセー(27)科学的成果を実践で生かすには?

筆者が大学院生当時、拓殖大学から箱根駅伝の監督要請がきた.

研究で得られた知見を実践の場で生かすことができると考え快諾した.

しかし,2~3か月もすると当時の科学的研究から得られた知見がトレーニングに直接役立つのはメキシコシティー五輪を前にした高所トレーニング等一部に限られていることに気付いた.

 

そこで教授に「なぜ科学的研究が現場に生かされないのか」尋ねたところ「スポーツ科学は実践の場で生かされることを念頭に置いて研究が行われている.

ただ,科学的研究は必ずしも直接実践の場で応用できるとは限らない.

しかし,実践的研究は直接実践の場で利用されるテーマを選び研究が行われるが,それも原著論文という制約の中で行われるため,役立つまでに時間がかかる」と説明された.

 

最近、福永哲夫・山本正嘉編著の『体育・スポーツ分野における実践研究の考え方と論文の書き方』が市村出版より出版された.

その編著者の1人山本氏は、研究の場と実践の場の間にますます溝が広がりつつあると指摘した.

そして,科学的研究は普遍性を追究する学問であるのに対して,実践的研究はそれだけでは解明できない個別性の問題を追究する学問と仮説し,実践的研究では実践の場で期待される個別性を重視した研究成果を提供すべきである,と述べている.

 

実践的研究も学術研究の枠の中で行われることから,当然、統計的有意差や相関関係,すなわち,pが0.05%未満であることが重要視される.

山本氏は,科学的研究はともかく実践的研究にはpの制約を緩和して事例的研究・症例的報告・実践的報告等の価値を再確認した上で,研究者の理論知と指導者が有する経験知・勘を融合した指導者参加型の新たな枠組みを考えている.

 

統計学者は研究者にpを過信すると物事の本質が失われる危険性を警告している.

しかし残念にも,研究者に一度刷り込まれた知識は修正されないで残っている.

 

実践的研究も学術論文の範疇にある.そのため,「科学する」条件である

  1. 理論化(数量化,画像化,論理的整合性等)すること
  2. 再現性が高いこと

の条件を満たさなければならない.

この条件を満たすことは個別性(個人差)の抽出を難しくしている.

先に述べたように,査読者のpの考え方を修正(柔軟)しない限り現場が求める個別性に関する知見の多くは得られないこの問題を解決する道は従来の実践的研究と切り離した別の次元の実践的研究を考えなければならない.

 

科学的論文の使命は

  1. 知の創造
  2. 知の継承
  3. 知の活用

である.

研究者は科学的成果を実践の場へフィードバックする責務がある.

この視点から最近の欧米の体育・スポーツ関連の学術研究の学会誌や科学誌は,論文投稿者がこの論文の結果が実践の場でどのような価値があり応用できるか,また,どんな問題や限界が潜んでいるかを記述することを義務づけているが,わが国では,「日本スポーツパフォーマンス学会」で義務づけられているに過ぎない.

 

しかし,近年若い研究者が種々の学会誌に,実践の場への応用の可能性と問題点を自発的に記述している論文を多く見かけるようになった.

 

その他,研究者は実践の場に新しい理論的知見を提供するために多様な論文の書き方を駆使して対応している.

その1つとして,すでに報告された多くのトレーニング実験の論文を目的に応じて厳選した後メタ解析を行い,被験者の特性,例えば,選手,健常者,障害者による性や年齢,身長や形態,体力や精神力,競技目的や情熱,競技歴や競技水準,実験方法の条件等を細かく分類し,スポーツの特殊性や被験者の個別性を重視したトレーニング強度,頻度,距離や時間等を報告している.

 

またトレーニング実験では,トレーニング効果が出た者(リスポンス群)と効果が出なかった者(ノンリスポンス群)に分類し,その両者の体力やパフォーマンスを比較することによって,トレーニング条件の個別性を考察している.しかし,これらのメタ解析やリスポンス群とノンリスポンス群の比較もすべて統計的処理の結果から得られる知見である.

 

科学的研究者が有する知的財産と実践指導者が有する経験知や勘を融合する現実的な方法は近年重要視されてきているモニタリングトレーニングである.

日々記録されたトレーニング内容や心身の変化や定期的(年2回)に行う選手の体力測定・心理テスト・動作分析等のデータを基に各専門的分野の研究者と指導者が一堂に集まり,前期間のトレーニングとその成果に関する反省とそれに基づく次期強化方針とそのために実施する具体的トレ―ニング内容等を議論する.

その時の意見交換はそれぞれの立場を理解するチャンスとなる.

 

現在「スポーツ科学は無用の長物」とみなす指導者も少なくない.

従来の実践的研究(論文の規格内)の枠を広げ、指導者の経験知や勘と研究者が有する知的財産が相互に生かされる新たな学会の発足が期待される.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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