エッセー(23)モンゴル相撲の横綱に会った(上)

モンゴルの空は高く広い.国土は日本の約4倍,首都ウランバートルは国のほぼ中央に位置し,西部のロシア国境近くには4,000m以上の高山が続く.

南部は荒涼たる南ゴビ砂漠が広がり、東部は広い草原が果てしなく続き、北部はロシアと国境を接している.

 

この広い国土に人口約350万人が居住し,うち約40%の150万人がウランバートルに住んでいる.

気候は厳しく,真夏は気温が30度近くまで上がる時もあるが、朝夕の寒暖の差が大きく,夜は10℃近くまで下がる.

冬季は零下40度から50度にまで下がるが,昼間は晴れている日が多いので、ひなたでは温度の割には寒さを感じない.

 

モンゴルと日本との間には、1274年と1281年の二度の元寇があり,1939年のノモンハン事件等の忌まわしい過去がある.

歴史的には比較的関係は希薄だったが、近年では貿易・文化・教育等を始め多分野で交流を深めている.

最も身近なことは、大相撲入りした多くのモンゴル人力士が大活躍していることである.

 

大相撲では外国人力士を各部屋1名に限る規定がある.

現在は33部屋に外国人力士が所属しており、うち22名がモンゴル出身力士である.

彼らは「ジャパニーズドリーム」を求めて来日し,日本の相撲界になくてはならない存在となっている.

 

初期には旭鷲山,旭天鵬,朝赤龍等が日本の相撲界への道筋をつくり,その後は朝青龍,白鵬、日馬富士、鶴竜の4横綱を生み出し,大相撲を牽引してきた.

これらの力士は当初、いきなり相撲部屋に入門したが,近年はまず日本の高校に入学する.

日本語や生活習慣を身に付けながら勉学,相撲のトレーニングに励んで部屋からの誘いを待つシステムが出来上がっている.

 

モンゴル相撲の歴史は古い.

古代史研究者の江上波夫によると,紀元前にすでに天地を祀るための神楽として競馬とともに相撲が行われていた.

日本の相撲は力士がすべて日本相撲協会(プロ)に属しているのに対し,モンゴル相撲は地域・職場・練習場所等のグループに属するアマチュアで、試合は力士会が各種の大会を運営している.

 

モンゴルで最も大きな大会は、年1回(7月11日から3日間)の国家ナーダム祭.

相撲大会は全国から選ばれた512名の力士によってトーナメント形式で争われる.

優勝すると横綱などの永世称号が与えられる.

優勝するとアルスラン(獅子)と呼ばれ,優勝2回でアブラガ(巨人)の称号が与えられる.

歴代最多優勝は7回.

 

モンゴル相撲には土俵がなく、足裏と手の平以外の身体の部位が地面に着くと負け.

土俵がないので投げ技が中心になるため,一瞬で決まる場合もあるが、10~20分も熱戦が続くこともある.

 

行司が存在しないので負けの判定は力士同士が行い,どちらも負けを認めなければ再試合(四つ相撲から始まる)となるが、最終的には仲介役が決定する。試合が長引くと力と技だけでなく、持久力もまた重要な要素となる.

 

試合前にはザソールと呼ばれる即興詩人が対戦力士を紹介し、その間に力士はデウェーと呼ばれる鷹の舞を舞う.

試合前には大地や神から力を得て相撲を取ることを祈願して舞い,勝利した後のデウェーでは勝利の誇示と感謝の意を込めて舞う(図1).

舞の型は階級によって定められている.

 

モンゴルでは横綱は超有名人で、会うのは政治家や芸能人より難しい.

これまでも幾度か交渉したもののなかなか実現しなかった.

今回はモンゴル医科大のワンダン講師の特別の計らいがあって「横綱中の横綱」ウスフバヤラ氏に会う機会を得た.

 

ウスフバヤラ氏はウランバートルの西方約400㎞あまりのところにあるアルハンガイ県出身である.

モンゴル相撲だけでなく、日本の大相撲で活躍する力士の多くが同県かこの周辺の出身.

この地域の力士は体が大きいのが特徴で、大相撲では旭天鵬,旭鷲山,逸ノ城などが当地の出身.

元横綱の朝青龍や大横綱の白鵬も近隣の生まれである.

 

隠密姿でホテルに現れたウスフバヤラ氏は、力士というより映画俳優のような端正な顔立ちで,脚の長い均整のとれたスタイルだった(図2).

身長198cm,体重140kg。われわれと並ぶと大人と子供くらいの差があった.

 

横綱が育った地域は、モンゴルでは珍しく山(丘)には木々が生い茂っており,山岳地帯を源流とする清流が流れ,温泉(ツエンケル温泉)のあるリゾートのような自然環境だったという.

一帯は1,600mから1,800mの標高で,緑のじゅうたんを敷いたたような草原.

モンゴル全体がかなりの標高がある高原地帯で,首都ウランバートルは1,300m~1,400mの海抜だ.

 

ウスフバヤラ氏は、モンゴル相撲でこれまで連続2度、計4回の優勝を果たしている.

直近の優勝は45歳だった2017年で,現在も現役選手としてトレーニングを続けている.

 

祖父も横綱だった関係もあり、ウスフバヤラ氏は幼少期から恵まれた自然環境で遊びながら力士としての基本的な動きを身に付けた.

しかし,高校卒業まではバスケットボールやバレーボールなどにも親しみ,力士としての本格的なトレーニングはその後に開始した.

なぜかと聞くと「早く本格的なトレーニングをするとけがが多くなり,憶病になることを心配した祖父の計らい」が答えだった.

 

写真の説明

図1:横綱ウスフバヤラ氏の雄姿.右側の4コマの上2枚は、ナーダム祭に優勝し,国旗に一礼して“鷹の舞”を舞った.下2枚は試合風景と勝利した直後.

 

図2:左側から桑森豊美仁愛大学名誉教授(栄養担当),モンゴル国立医科大学ワンダン講師(モンゴル側の共同研究者),横綱ウスフバヤラ氏,通訳,筆者(調査・研究担当),橋爪和夫富山大学教授(企画,調査・研究担当)

その他は,写真に説明を加えている.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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