陸上競技のルーツをさぐる36

「走幅跳」の歴史<そのⅡ>

古代競技における「重り」を持った走幅跳の様子

古代競技で実施されていた走幅跳では、前回(35)の図版③に示したような「重り」が使われていました。これらの中では石製のものは今日の「亜鈴」のような形をしており、手で握りやすくするために溝が彫られている。金属製のものは弓型になっていますが、どちらも握りやすくしてあるのが共通点です。

ガーディナー博士は、各地から出土した「重り」を示していますが、これらの形や重さはまちまちです。長さでは12cmから25cmと幅があり、重さは1kgから4.5kgと開きがあります。これを持ってどのような助走をして跳躍をしていたのかは、絵壷に残る図柄から想像する以外にはありません。

この方式の走幅跳では、踏切時に「重り」を前方に振り上げ、空中では腕と脚がほぼ平行な姿勢になります。着地に移る際に「重り」を後方に振り、着地時には「重り」を下方にぶら下げ、両膝から下をできる限り前方に振り出す。それによってジャンプの距離を伸ばしたのではないかと考えられます。

これら一連の空中動作は、今日のシザース・ジャンプ(挟み跳び)の着地寸前のフォームに似ていることが分かります。着地の瞬間には、バランスを保つために「重り」を再び前方に振り、後方に倒れないようにしたとものと思われます。

しかし、なぜ負担になると思われる「重り」を持って跳躍したのかについては、現代の私たちには想像が難いことです。それを解決するヒントになると思われるのが、国際陸連(IAAF)の規則書です。走幅跳の項には最近まで「跳躍に際しては、どのようなものも持って跳んではならない・・・」という条項があったことを忘れてはならないでしょう。

上半身を鍛え上げた世界の超一流選手なら、片手に持った1kg程度の「重り」の反動を利用して踏み切りの瞬間に腰を上方に持ち上げ、着地時には肩と肘を軸に腕を回して両膝から下を前方に振り出す。これによって好記録が生まれたかもしれないと思われますが、いかがでしょう。

ガーディナー博士はさらに、「重り」を持った当時の走幅跳では「助走距離は短めで、スピードもあまり速くない。選手は“重り”を体側に保つか、わずかばかり振り、スタートの数歩は弾むように走り始める。踏切に近づくと助走スピードをやや落とし、大股で「重り」を1~2回前後に振り、最後には前に振り上げて踏み切った」と説明しています。

踏切後の空中姿勢は、絵壷の絵を見ると「重り」を最も高いところへ振り上げたとき、身体はやや後方に傾いており、前足はいくらか地面から浮き上がっています。「重り」を振り下ろす時の様子は、実際の跳躍よりもやや誇張して描かれているようです。博士はこの図柄について「実際の競技の様子を描いたというより、少々余裕を持って跳んでいる練習時の様子ではないかと思われる」と見解を述べています。

「重り」を持った場合の助走は、注意深くタイミングを合わせる動作が必要なため、助走から着地までの一連の動作は「一種のドリル形式で教えられたのではないか」と分析しています。前回の(35)で触れたように、走幅跳の練習が笛の音に合わせて行われたのは、こうした理由からだとも指摘しています。

紀元前3世紀前半に『体育術について(De Arte Gyimnastica)』という書を著したフィラストラトスによれば「古代ギリシア競技における走幅跳では、両足の足跡が正しくなければ計測に値する跳躍と認めなかったという。もし跳躍者がふらつくか倒れるかした場合、また両足が揃わず片足が他の足の前方に着地したりすると、その跳躍はカウントされなかった・・・』とも述べています。

ギリシアでは跳躍時の「距離(記録)」よりも、跳躍全体を通じた一連の動作の「形(style)の美しさ」に多くの注意と関心が払われていた。当時は跳躍に限らず、各種の競技でフォームの美しさとともに「安全に競技する」ことが大切だとも考えられていた。この考え方は現代の「スキージャンプ競技」にも生き続けており、ジャンプの飛距離とともに空中フォームの美しさを採点する飛型点との合計点で競われる競技ルールになっています。

当時の立幅跳について

古代ギリシア時代では、数々の絵壺に描かれたような片足で踏み切る走幅跳が中心であったと思われます。ただし、時には両足を揃えて踏み切る立幅跳も存在していたようです。図版④の踏切の動作から判断し、これが立幅跳だったと十分に納得できるでしょう。

別の絵壺では、図版③のように「重り」を持たない跳躍の姿を描いたものもあります。この図版では若者が両足を揃えて立ち、膝を曲げて両手を一直線に伸ばして跳躍に備えています。図版④の若者の前方に置かれた柱は、踏切の位置を示しています。ガーディナー博士は、立幅跳か立高跳かの判別は難しいとしながらも「足のポジションから見ると、やはり立幅跳であろう」と推定しています。

五種競技の一環だったとされる走幅跳と違い、立幅跳がどのような位置づけで実施されていたのかについてはっきりしたことが分からないと博士は述べています。

立幅跳は1900年パリ大会から12年ストックホルム大会までの五輪4大会と1906年の10年記念大会を含めた計5大会で実施されています。実施された理由や根拠等を示す資料は持ち合わせませんが、立高跳や立三段跳(パリ大会と1904年セントルイス大会のみ)」とともに行われた記録は残っています。

助走をしないこの跳躍種目で独壇場の活躍をしたのは、幼年時代に「ポリオ」を患った米国のR・ユーリー選手でした。走ることができないため助走なしでやれる種目に活路を見出し、鍛え上げた抜群の跳躍力を発揮して金メダルを計10個獲得。20代後半から30代に樹立した当時の世界記録は立高跳が1m66、立幅跳が3m47、立三段跳が10m58でした。

以下次号

写真図版の説明と出典

  • ①「古代競技における走幅跳の様子(ボストン美術館蔵のアッチカ赤絵式キュリックス型盃に描かれた紀元前500年頃のもの)」
    『Athletics of the Ancient World』(1930) 附写真No.105 E. N. Gardiner著(Oxford at the Clarendon Press)
  • ②「笛の音に合わせて、重りを持って跳躍をする選手(大英博物館蔵のアッチカ黒絵壺に描かれた紀元前440年頃のもの)
    『同上書』p150
  • ③「重りを振って立幅跳を試みる像(ローマのヴィラ・シウリア所蔵、紀元前5世紀初期の作品)」
    『同上書』附写真No.22
  • ④「<重り>を持たずに<立幅跳>を行う選手(同上アッチカ赤絵式クラーテール型壺に描かれた紀元前400年頃のもの)」
    『同上書』p145
  • ⑤「1900年パリ五輪の立高跳で1m65の記録を樹立して優勝したR・ユーリー選手」
    『Athletics at the Olympic Games』(1992) p11  M・Watman編 (雑誌Athletics Today五輪特集付録号 Part.1)(英国・Athletics Today社)
  • ⑥「1900年パリ五輪の立幅跳で3m21の記録で優勝したR・ユーリー選手」
    『Das grosse Buch der Olymichen Spiele 』(1995)p70 C・Zentner (Copress Sport)
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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