エッセー(13)最大筋力の“最大”とは何か?

文科省が実施している児童・生徒の基礎体力や基礎運動能力テストでは、全力を出すこと(最大努力)が求められる.しかし,最大努力したか否かを判定する術はない.出されたデータは仕方なく、個人の最大値として記録される.

しかし,測定された握力の記録が本当に個人の最大努力の結果なのかを疑うことがある.最大握力の“最大”とは何を指すのであろうか.

同一個人の同一身体の部位で発揮される筋力の大きさは、大脳からのインパルスの数,すなわち,いかに頑張れるかの心理的要素によって決まる.例えば握力は,握力に関与する正中神経や尺骨神経などを介した大脳からの電気信号(インパルス)のピークの積分値によって決まる.最大努力をして発揮された個人の最高の握力は、自発的最大握力と呼ばれる.最大努力をしたか否かはこころの問題であることから,発揮された個人の最高の握力の上限を心理的限界と呼ぶ.

握力を毎日1回、同じ時間帯で測定すると、値は小さく変動しながらも高まる.初期の高まりは集中力とか力を出すコツの体得によるトレーニング効果であり,筋肥大に伴う生理的効果はそれよりも随分後から現れてくる.その他の小さな変動は、こころの状態を表出している.こころの状態は喜怒哀楽や周囲の状況に応じて変化するので,自発的最大握力も心理状態によって変化する.

例えば,危機や火急の状況に臨んだ時,筋肉のダメージを避けるため普段は抑制がかかっていたものが取り払われることによって,生理的限界近くまで力が発揮されることがある.これを一般に「火事場の馬鹿力」と呼ぶ.

この火事場のような心理的状況を人為的に作り出す暗示や催眠,動機づけ,掛け声(発声)や応援(audience),薬物(ドーピングで禁止された物)等の刺激を与えると,筋力の最大値が自発的最大筋力を20~30%上回ることがある.

猪飼とスタインハウス(1961)は,発声によって筋力が約12%、催眠によって 27%も余分に高く発揮され,この原因が①大脳皮質や中枢神経系の興奮水準による心理的能力②筋収縮時の主働筋以外の周辺の筋量の増加などの生理的能力が関与しているとみなした.前者を心理的限界,後者を生理的限界と呼んだ.

猪飼(1968)は、発声にみられる自発的最大筋力の増加のメカニズムを「ヒトは平常“こころの殻”という内制止(抑制)が本来の自由を奪っているが,外部からの気合いや掛け声などの外制止が内制止に作用して脱制止を起こすことにより,内制止が一時的に消退する.すなわち,大脳の運動野に対する抑制的作用を外制止によって中断することによるものである」と説明した.

さらに,催眠による筋力の増大については「催眠では大部分の大脳皮質が休息し,運動野だけが活動していることになり,運動野は何ら制限を受けることなくその全力を発揮できるようになる.この場合は『内制止の消失による脱制止』と言い、音によるものは『外制止による内制止の制止,その結果としての脱制止』と外部からの刺激の違いによってメカニズムが異なる」とみなした.いずれにしろ,こうした“脱制止”は最大筋力を発揮するための必要条件であり,スポーツではしばしばみられる現象である.

猪飼と矢部(1967)は生体に電気刺激(外制止)を与え,内制止(抑制)を人為的に弱めることによって生理的限界を追究した.この実験では手の親指の母指内転筋の自発的最大筋力と,前腕の尺骨神経の皮膚上に電気刺激を与えた時の最大筋力とを比較した結果,後者が前者に比べ最大筋力の平均(12名)が31%(18~48%)高くなった.すなわち,筋肉が本来発揮できる生理的限界は自分の意志で出し得る心理的限界よりも平均約31%上回り,しかも個人差が大きいことを明らかにした.

さらに猪飼と矢部(1967)は,一定のリズムで母指内転筋の自発的最大筋力発揮を繰り返し行う場合を検証. 数回に1回の割で電気刺激による最大筋力を測定すると,両者(自発的と電気)とも収縮の回数が増えるにつれ最大筋力の低下がみられるが,前者の最大筋力の低下は後者のそれに比べ低下率が大きくなった.なぜなら,前者の筋力低下は末梢の組織と中枢の大脳の両者の疲労によるが,後者の低下は大脳の疲労も若干みられるが主に末梢疲労による.その後の研究では,持久的運動能力の低下は末梢筋力の疲労だけでなく大脳からのインパルスの低下による影響が明らかにされている.

トレーニングとは心理的限界を生理的限界に近づけることである(図1).ただし,トレーニングによる頑張り力の高まりは心理的限界だけでなく、生理的限界も高める.生理的限界の高まりの後追いをしている状況が、心理的限界の姿である.しかし,生理的限界の伸び率の低下に従って心理的限界が生理的限界に徐々に近づくが,近づけば近づくほどけがのリスクが高まる.この現象は、晩年に近づいたアスリートになぜけがが多くなるかを物語っている.

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山地 啓司

山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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