エッセー(12)スポーツは永遠である

松浦詳山は『常洋子剣談』の中で「勝ちには不思議な勝ちあり,負けには不思議な負けなし」と述べている。偶然に勝つことはあっても,負けは必然的結果に基づくものであると考えたのである.

この言葉は多くの勝負の世界で言い伝えられてきた.例えば,棋士の加藤正夫は「幸運の勝ちがあっても,不運な負けはない.負けにはすべて原因がある」と語っている.プロ野球の選手・監督であった野村克也は詳山の言葉をそのまま引用し,負けた場合には負けた必然的要因を追究・反省し,次の試合に勝利する方策を考えるべきであると指摘している.

いつの時代にも勝者はこれまでのトレーニングを継承しようとする“こころの慣性作用”が働く.一方,敗者は必死になって新たなトレーニングに取り組む.かくして,勝者はいつまでも勝者ではない.勝者は勝ったのは偶然だと肝に銘じ,勝ってかぶとの緒を締めるこころを持たなければならない.

スポーツ科学の究極の目的は、偶然性を排除して必然性を追究していくことにある.現在は偶然や想定外と思われている現象の中にも、人間の知や技術がその域に達していないがためであって、科学がより進歩することで必然と判明する事象もある.

スポーツ科学がさらに進歩・発達すれば、予測・予知の正確性がより増してくる.しかし,どちらが勝つか分からない不確かさ(ファージさ)はスポーツの醍醐味で、そのことが観客を興奮させるのである。超人的なスピードやスタミナの極限を追求する努力に人は驚嘆と感銘を覚えるのだ.サーカスの綱渡りやアクロバット的高度な技術・動きが持つ危うさに、観衆は手に汗を握り,成功すると惜しみない拍手を送るのである.

一方,非生命体の学問,例えば物理学は定性的側面を取り除いてより定量化を試みる学問である.身近な例を挙げると,普段の生活の中で光は色(赤だとか青とか)として定性的に見るか表現することによって相互に理解するが,光を科学するためには波長・強度・波形で定量化することになる.一般の人には数字を見ても理解できないだけでなく,面白みがない.

かつて,欧米人はヒトの営みを“機械”とみなした.イギリスの生理学者ヒルはヒトを「生命機械論」,フランスの医師ラ・メリは唯物論的にみて「人間機械論」,デカルトは「動物機械説」をそれぞれ唱えた.ヒトの機能が正に精密機械のように正確に動いていると考えたのである.

しかし,生命科学が進歩するにつれ,ヒトは外部環境と密接な関係を保つ機能,例えば①内分泌(ホルモン)②自律神経③免疫が一定の範囲内で動揺(生命体のバランス)している状態を,ベルナールやハンス・セリエは「ホメオスタシス」と呼んだ.

また,シェーンハイマーは古い細胞が壊され捨てられ,摂取した栄養から細胞が再生されるという自転車操業的からだの機能を「動的平衡」と呼んだ.あるいは,地球の自転による環境時計(体外時計)と遺伝子時計(体内時計)とが複雑に作用し合い,揺らいでいる現象が次々に明るみになるにつれ,生命体は非生命体と一線を画すべきであると認識され,人間機械説は下火になった.

生命科学には矛盾と例外は付きもので、ヒトの行為にも矛盾と例外が存在する.さらに,スポーツ科学では越えることができない「個人差」と言う壁がある.このことが実践の場に科学的成果を普遍化することを妨げている.すなわち,「個人差」の存在が絶対的必然性を妨げているとも言える.

生理学で統計的処理をする時、5%以内が概ね有意性を判定する範囲であるが,非生命体を取り扱う工学的研究では,有意検定は0.000・・1%以内となり必然性が伴う.

物理学者の増山元三郎は『デタラメの世界』の中で,デタラメ性(偶然性)を否定しながら、一方でヒトのデタラメ性の重要性を強調している.例えば,T字路の両側の等距離に全く同じ餌を置く.飢えたネズミがT字路に来て、右を選ぶ理由も左を選ぶ理由もない時,ネズミはデタラメ性の性格を有するので餓死することはない.ロボットだとT字路から動かなくなってしまうであろう.

これは例え話であるが,ヒトのからだにもこころにも絶対と言う必然性がない.すなわち,ヒトは絶えず変動し、個人差がある.従って,スポーツ科学がどんなに進歩しても試合の日の個人の体調(コンディション),心理的状態や動きのすべてを把握し,総合されたチーム力や個人の力を正確に予測・予知することはできない.

しかし,個人の力チームの総合力を繰り返しデータ化し、何度も試合を行うこと,すなわち,“知行一如”や“行学一如”を実行することによって徐々に精度は高まる。それでもなお偶然性の要素を埋めることはできないので、試合はやってみなければ分からない。スポーツは永遠なのである.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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