陸上競技のルーツをさぐる73
「混成競技」の歴史 <(そのⅦ)>
「女子混成競技」の歴史
女子の陸上競技に関する記録は古来、ほとんど残っていません。古代ギリシャ・ローマ時代でも、わずかに「ゼウスの妃のヘラ(既婚女性の守護神)」の祭典(=ヘライア祭)で「男子の距離より6分の1短い500フィート(約152m)の直線競走があった・・」との記述があるほか、シチリア島の壁画などに競技する姿がうかがえるくらい。この項のテーマ「女子混成競技」が行われた確証は得られていません。
E・Norman Gardiner博士著の『Athletics of the Ancient World』(1930年刊)<岸野雄三訳『ギリシアの運動競技』(1981年刊)の邦訳書もある>では、男子選手の競技の様子は2000年以上前の遺跡出土品などをもとに詳細に紹介されています。しかし、女子に関しては「男子と同様の活動を行っていたようだ・・」と述べられている程度で、競技する姿はほとんどみられません。社会的に女性の地位が高くなかったことの反映といえるでしょう。
「近代陸上競技」における「女子混成競技」の歩み」
19世紀中葉以降、英国内で陸上競技の組織・制度が確立されていき、欧米の大学やその卒業生たちが活動を広げていった経緯は詳しく述べてきた通りです。その後に各地域・国家レベルでも組織化が図られ、1896年のアテネでの近代五輪開催につながっていきます。
1920年代に「英国陸連」の中核だったF・A・M・ウェブスター氏は、25年に男子、30年に女子の「陸上競技」の歴史・技術指導書を上梓。『Athletics of To-Day for Women』には、20世紀に入って活発化した女子の活動が詳述されています。フランスでは「女子参政権獲得運動(suffragette)」のリーダー、A・ミリア夫人らが1917年に「フランス女子スポーツ連盟(FFSF)」を結成しました。
1920年9月には「ウイーン対ベルリン女子対抗陸上」が行われ、翌年1月には英国で海外派遣選手選考会が開かれています。3月にはモンテカルロで欧州5か国対抗の「女子陸上競技会」が開催されました。パリで「英仏対抗女子陸上」が開かれた10月には、ミリア夫人らが「国際女子スポーツ連盟(FSFI)」を設立。22年8月にはパリで「第1回女子五輪(Women’s Olympic Games)」を開きました。5カ国対抗形式で実施されたこの大会は2万人の観衆が集まる盛況で、女子競技発展の大きな契機になりました。
人見絹枝が「3種競技」で世界新記録樹立
ひと際目を引くのは、遠路参加した人見絹枝の活躍。上記の著書には、29年6月に奈良県美吉野グランドで樹立した「三種競技(Triathlon)<100m12秒4(87点)・走高跳1m45(71点)・やり投32m13(59点)、合計217点>」が「世界新」と明記されています。この3種目が設定された経緯、点数の基準がどのようなものだったかは不明です。
女子選手の念願「五輪参加」が実現するのは1928年の第8回アムステルダム大会からでしたが、「混成競技」は実施されていません。日本選手権で女子の「五種競技(Pentathlon)」が採用されたのは1934年の第21回大会からで、第1日<砲丸投・走幅跳>2日目<100m・走高跳・やり投>の順で実施。第二次大戦後の47年の30回大会からはやり投を80mHと入れ替え、<砲丸投・走高跳・200m>、<80mH・走幅跳>の順で行う形式に変更しています。国際陸連は1954年に女子の採点表を整備し、61年には競技の順序を<80mH・砲丸投・走高跳><走幅跳・200m>に変更。五輪種目として登場したのは64年の東京五輪からで、1969年には80mHを100mHと入れ替えています。
1980年代以降は特に女子の競技力が躍進し、1981年からは「五種競技」を現在の「七種競技(Heptathlon)」に変更。83年のヘルシンキでの第1回世界選手権以降、現行の第1日<100mH・砲丸投・走高跳・200m>第2日<走幅跳・やり投・800m>の形式で実施されています。女子にとって厳しい種目が並び、「陸の女王」を決めるのにふさわしい編成になっています。
現在の世界記録は7291点。1988年のソウル五輪で金メダルに輝いた「鉄の女」J・J・カーシ(米)が樹立したこの時の記録は、32年間も破られていません。なかでも、100mHの12秒69、200mの22秒56、走幅跳の7m27は、日本記録をはるかに上回る驚くべき高水準の記録。21世紀に入ると、この競技が盛んな欧州諸国では男子と同じ棒高跳びを含む「女子規格」による十種競技も行われています。
(完)
写真図版の説明と出典
- 「スポーツする女性像(シチリア島スプリアクルム)」『Women’s Sports: A History』Allen Guttmann著 (1991年) P52~53 (Columbia University Press)
- 「欧州遠征に人見絹枝選手に同行した大阪毎日新聞運動部長と、女子連盟A・ミリア夫人との記念写真(左からA・ミリア会長、人見絹枝選手、木下東作部長)」『(父と母)の表題のついた人見絹枝選手の記念写真より、『ゴールに入る』人見絹枝著(1931年刊)写真ページ (一成社)
- 「1988年ソウル五輪七種競技最終種目の800mで力走するカーシー選手(米)」『ソウルオリンピック総集編、栄光と感動の全記録 <毎日グラフ>』毎日新聞社(1988年)p45