連載を終えて

「陸上競技のルーツ研究」の契機

この連載のもとになる「陸上競技のルーツ」研究を始めたきっかけは、京都の府立高校赴任2年目の新米教師時代のある恥ずかしい経験でした。1年生男子の授業で、当時の女子80mH規格と「同じ高さ・同じ間隔」にハードルを置いたところ、クラスで一番身長の低い生徒から「僕は身長が低くてうまくできません。誰がいつ、こんなルールを決めたんですか」と質問されました。

 

国体で入賞して得意になっていた当時の私は、単純・素朴なこの質問にぐうの音も出なかったのです。「陸上競技のプロの教員としての必須の知識」であるはずのことを知らなかった。以後、ルール・ブックや事典類を機会があるごとにひも解いて、陸上競技のあらゆる種目の「ルーツ」を調べ上げることを自らに課しました。

 

資料収集の旅とその成果

30歳になった1968年、縁あって立命館大学へ移籍。陸上競技部のコーチ・監督・部長等を務める傍ら、当時のわが国では手付かずの分野だった「陸上競技のルーツ解明」を研究分野に設定し、文献収集・解読、文章化に取り組みました。「近代陸上競技」の出発点、18世紀中葉の英国諸学校における陸上競技史を把握するため、英国陸連初代会長のM・シャーマン卿著の『Athletics(1887 )』<Badminton叢書>の翻訳にも着手しました。

 

ロサンゼルス五輪が開かれた1984年には「茗渓陸上部同窓」の寺島善一氏の紹介で、資料収集のためロンドンに半年間滞在する機会を得ました。ルーツに関わる集まりや場所には可能な限り出向き、「英国陸連(BAAB)本部」やローザンヌの「IOC本部」、陸上競技発祥の地ともいわれるバースやエジンバラなども訪問。ロンドン市中の古書店巡り、「大英図書館(BL)」にも日参したことで、各種目の「ルーツ」がおぼろげながら見えてきました。

 

これらの資料をもとに、1996年には『陸上競技のルーツをさぐる』(文理閣)を上梓し、次いで、『月刊陸上』への連載、諸事典の陸上競技項目の執筆などの機会も得ました。この間に目を通した英国の「陸上競技指導書」には、「種目成立の歴史」や各時代の最先端技術が必ず記述されていました。「英国陸連」強化担当者や研究者たちは、種目ごとに中高生レベルの競技者、指導者を対象に手軽な「指導書」を出版していましたが、そこでも種目の「歴史(Early History)」は必須項目でした。

 

「ルーツ」研究の効用と課題

選手諸君に伝えたいことは「日々練習している種目が、どのような経過やルール変遷をたどって現在の姿になったのかを知ること」は、自らの競技力を飛躍させるうえで極めて重要だということです。使っている用具や施設の変遷、技術開発の流れと記録誕生との関りなど、先人の足跡を知ることが大切なのです。毎日行っている練習法がどのような試行錯誤を経てうまれたのかを知ることは、主体的に練習に打ち込む大きな動機付けとなるはずです。現場の指導者の方々には、ルーツをめぐるさまざまな資料を準備し、絶えず選手たちへ刺激を与えてほしいと願っています。

 

心残りなのは、古代以来の「男性の陸上競技史」を述べることはできましたが、「女性の陸上競技通史」を独立した「章立て」で記述できなかったことです。機会があれば高齢の体にむち打って、改めて寄稿させていただければと願っています。

 

OB・OG会HPへの寄稿経緯

2018年春に筑波大学陸上競技部OBOG会のホームページが開設された際、船原勝英幹事長から掲載のお誘いがありました。OB・OG会員の多くが体育・スポーツに関わってきた歴史があり、現在も各世代で指導に携わっておられる方々へ向け、「教養としての陸上競技史」を寄稿してほしいとの要請でした。OB・OG以外にも広く一般の方にもアクセスしてもらえる機会が生まれるとの指摘もありました。

 

定年退職した自由の身でもあり、せっかくのお勧めを喜んでお引き受けし、70回余りの連載のゴールを「2020東京五輪開会式の日(7月24日)」に設定。以前まとめた著述に新情報を盛り込んで加筆・修正し、内外の書籍、雑誌、記録集、「五輪特別号」等に掲載されている写真なども加えました。想定していたゴールは五輪延期によって先送りとなりましたが、1年延期になっても「2020東京五輪」メイン競技の「陸上競技」への関心は一段と高まることでしょう。

 

その大舞台「二度目の東京五輪」で展開される世界のトップ選手たちの姿を、単に「鑑賞の対象(見て、応援するもの)」にとどめるだけでは惜しいと思うのです。この連載が「人類の生んだスポーツ文化」への理解を深め、発展させる一助になれば、これほどの幸せはありません。

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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