陸上競技のルーツをさぐる72

「混成競技」の歴史 <(そのⅥ)>

1985年改定の「採点表」

1985年4月に発効した現行「採点表」は、チェコのV・トリカル博士(.V・Trkal of Czechoslovakia)の指導の下、「国際陸連(当時)」が1982年に改訂委員会を組織して作業を開始しました。

 

得点配分に関する多面的な配慮があり、35年もの長期間にわたって使用されてきた実績がありますが、一部で公正さに欠けるとの批判がありました。なかでも、1989年に 『十種競技のすべて(The Decathlon)』を著したF・ザレノウスキー博士(Dr. Frank Zarnowsky=米マウント・セント・メアリー校)は「数学的、統計的な資料の提出がなく、科学的な裏付を欠いている。信頼性に乏しい」と厳しい見立てをしています。

 

現行の「採点表」の特徴は、「100m」・「110mH」・「400m」と男子の「五種競技」種目の「200m」を対象に、電気計時用の100分の1秒単位と手動の10分の1単位の得点を併記していること。21世紀のコンピューター時代にふさわしく、記録計測と同時に得点が表示されるシステムが組み込まれています。

 

「十種競技」と「エベレスト山」

近代陸上競技に「十種競技」が導入されて120年。「採点表」は過去6回の改訂が行われてきましたが、これらを整理したのが表①です。

 

この間、十種競技選手が常に目標にしてきたのが、世界最高峰のエベレスト山(チョモランマ)の標高8848mにあやかった得点を出すことでした。数字の上では、1963年に前述した楊伝広が9121点の大記録を出してはいますが、グラァイバーポールの出現による棒高跳びで稼いだ異常な高得点があったため。

 

楊はこの時4m84に成功していますが、1957年にB・ガトウスキー(米)がアルミのポールで樹立した4m82の世界記録、60年にD・ブラッグ(米)がスチールポールで成功した4m80を上回っています。

 

グラスファイバーのポールで樹立された前年までの世界記録はペンティ・ニクラ(フィンランド)の4m92でしたから、従来の採点表上限が4m82で1515点だったのは無理のないこと。のちに4m84の得点が1600点と算定され、世界記録は9206点と修正されています。

 

1963年は爆発的に記録が伸びたシーズンで、世界記録を連発したJ・ぺネル(米)が8月に5m20に成功。楊もこの年に5mをクリアする世界屈指の棒高跳び選手でしたが、五輪では十種競技の金メダルには手が届かなかった悲運のアスリートでした。

 

1984年ロサンゼルス五輪ではD・トンプソン(英国)が8798点の世界タイ記録で優勝。85年に発効した「採点表」に換算すると8847点になり、「エベレスト」まであと1点に迫る快記録でしたが、念願を果たせぬまま競技生活を終えました。

採点表改定後の“エベレスト越え”は1992年9月。スプリント系種目に強かったD・オブライエン(米国)が8891点を出し、晴れて「十種競技選手の夢」を実現しました。

 

99年7月にはT・ドボルジャーク(チェコ)が8994点へ更新し、2001年5月に僚友のR・シェブルレが9026点、12年6月にはA・イートン(米国)が9039点と上積み。18年9月にはK・マイヤー(フランス)が9126点の驚異的な記録を樹立しました。次の目標は10000点の大台ですが、これは遥か彼方の記録でしょう。

 

欧州における変則「混成競技」大会

近年の欧州では世界のトップ選手を招き、数万人の観衆を集めて1日で終了する「ワンデイ十種競技」が人気を博しています。「ウルトラ二十種競技(the double decathlon)」と称する競技も行われており、1日目に100m、走幅跳、200mH、砲丸投、5000m、走高跳、800m、400m、ハンマー投、3000mSCを実施。2日目に残りの10種目、110mH、円盤投、200m、棒高跳、3000m、400mH、やり投、1500m、三段跳、10000mをこなす驚くべき競技です。

 

1989年10月26日号の専門誌『Athletics Today』(Vol.3. No.43)p.13に、9月9~10日に行われた上記大会の記録が紹介されており、400mを専門とするA・オジャスツ(エストニア)が得意種目で47秒93の記録を出すなどして合計13690点で優勝したとあります。

 

オジャスツの記録は<第1日>100m(11秒21)、走幅跳(6m45)、200mH(24秒85)、砲丸投(9m95)、5000m(17分22秒51)、走高跳(1m85)、800m(1分56秒17)、400m(47秒93)、ハンマー投(20m90)、3000mSC(10分43秒54)。<第2日>110mH(16秒40)、円盤投(27m16)、200m(22秒01)、棒高跳(2m60)、3000m(9分49秒43)、400mH(54秒54)、やり投(45m56)、1500m(4分18秒18)、三段跳(13m69)、10000m(40分29秒78)。3位までをエストニア勢が独占。「十種競技」でも世界の上位にランクされる選手たちでした。

 

単一種目で好記録を樹立した選手には大きな敬意を払い、「記録集」にも克明に記録が掲載されますが、こうした「オールラウンド大会」の詳細記録はほとんど報告されません。これら「超人的能力」の持ち主にも焦点が当たることも大切なことだと思うのですが。

写真図版の説明と出典

  • 「6度にわたる男子採点表の歴史的変遷(ザルノウスキーの著書より筆者が作表)」『The Decathlon -A colorful of track and field most challenging event-』Frank Zarnowski、DA 著(1998年)p.244 (Leisure Press)
  • 「採点表のなかで1000点を得るために必要な記録の変遷表(ザルノウスキーの著書より筆者が作表)『表①同上書』p.244
  • 「1984年ロサンゼルス五輪で最終種目の1500mで力走するD・トンプソン(英国)<(前から3人目)>」『表①同上書』p.138
  • 「D・トンプソンのサイン入り写真<1994年にローザンヌのIOC本部で開かれた「五輪コングレス」参加時に本人から貰う>
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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