陸上競技のルーツをさぐる70

「混成競技」の歴史<そのⅣ>

「採点表」の改訂とその後の「十種競技」

「混成競技」では、「採点表」の記録の基準によって勝敗の行方が大きく変わります。初めて実施された1912年ストックホルム五輪で混乱を招いたことから、基準の見直しが急務となりました。混成競技が盛んだった米国では、いち早く手直しした「採点表」で競技を実施しています。

 

新しい基準は、ストックホルム五輪で更新された各種目の最高記録を1000点、一般の男性なら実現可能な記録を1点とし、これを1000等分して「直線型」の「表」を作成。第一次大戦後の1924年パリ五輪では、これを一部改訂して競技を行いました。当時基準とした1000点相当の記録と、各種目の記録当たりの配点を表①に示します。

この「表」は1921年にジュネーブ(スイス)で開いた「第3回IAAF総会」で正式に承認され、1932年ロサンゼルス五輪までの3大会で使用されました。それから数度の改訂が実施されていますが、その際の種目ごとの1000点相当記録の変遷一覧を表②に示します。

個々の種目で1000点に相当する記録を上回った場合は、配点に比例して加点し、1点以下なら0点とする設定。0点でもその後の競技は続行できますが、1種目でも「棄権」をすれば、以後の競技続行の権利を失います。100m、400m、110mHで3回の不正出発(フライング)をした場合、それぞれ100分の1の距離に相当する「後退位置」からスタートする「罰退規則」も定められました。走種目の記録が0.2秒(5分の1秒)単位で示されているのは、当時使用されていたストップウオッチの性能に限界があり、世界記録が5分の1秒単位で公認されていたためです。

 

1935年の「採点表」改定

1930年代に入ると世界的規模で競技人口が拡大、世界記録や五輪記録も大幅に更新されていきました。「十種競技」の選手層も厚くなって記録が向上し、「採点表」改訂の必要性が高まりました。1934年にストックホルムで開かれた「IAAF総会」で、新しい発想による画期的な「採点表」が承認されます。高いレベルの記録を出しても、難易度に見合った得点が得られない「直線型」の採点表の矛盾を解消。0点から1150点の配点で、「好(高)記録が、高得点」になるという「回帰方程式」を採用したのです。

 

「成就曲線(performance curve)」あるいは、「成就斬新線(performance progressive)」 といわれる数式に沿って作られた方式。同じ100mで出された0.1秒でも9秒9と10秒0の0.1秒差と、14秒9と15秒0の0.1秒差とでは難易度が全く違います。長年の懸案だった混成競技のテーマを解消したこの方式は、100分の1秒単位で記録が公認されている現代の「採点表」にも生き続けています。煩雑だった小数点以下の端数を廃止して1935年から施行。五輪では1936年ベルリン大会から「新採点表」で優勝者が決められ、第二次大戦後の1940年代後半まで使われました。

 

「採点表」の再々改訂

1946年の「1AAF総会」では、戦前に採用した「採点表」を改訂すべきとの声が上がって改定作業が開始されます。飛躍的な世界記録の向上に伴い、上限の基準点が1300点、最高点が1500点となる「成就曲線」に沿った配点となり、1950年から用いられます。1952年には計算上の誤りを修正して翌年から使用。ただし、同年のヘルシンキ、続くメルボルン両五輪では1950年に作成した「採点表」が使われました。ここで使われた1300点、中間の600点、0点に相当する各記録を、表③で示します。

「好記録が高得点」となる採点方式を男子100mで具体的に示すと、同じ「0秒10」差でも9秒97と9秒87の得点差は100点もありますが、16秒01と15秒91ではわずか10点差です。記録の達成難易度に従って適正に配点されるようになったというわけです。

 

写真図版の説明と出典

  • 「1912年に基準とした1000点相当の記録と各種目の記録あたりの配点表」『最新スポーツ大事典―岡尾惠市担当部分』 日体協監修・岸野雄三代表編輯(1987年)p.360 大修館書店
  • 「十種競技採点表の改訂年と1000点に設定した各時期の記録」『The Decathlon-A colorful history of track and field’s most challenging event-』Frank Zarnowski DA著(1989年)p.224(Leisure Press)より筆者が作表。
  • 「各種目の1300点、中間の600点、0点に相当する記録表」『WAAF Scoring Tables 2020年版より筆者が作表』
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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