陸上競技のルーツをさぐる69

「混成競技」の歴史<そのⅢ>

陸上競技種目としての「五種競技」

五輪で最初に「混成競技」が実施されたのは1912年のストックホルム大会。男子の「五種競技」と「十種競技」が行われました。

 

11か国、26名が参加した「五種競技」は、「走幅跳」「やり投」「200m走」「円盤投」「1500m走」の5種目を1日でこなすハードなものでした。順位決定の方法は、まず全選手が上記3種目を行って各種目の順位をつけ、1位は1点、2位は2点、3位は3点・・・とし、合計点の少ない上位12名が「円盤投」を実施。「円盤投」終了時点で6名に絞って最後の「1500mに臨み、合計順位点が最も少ない者を優勝者としました。同点の場合は「得点表」で順位を付ける方式でした。

 

「200m走」で不正出発(フライング)を3度繰り返した場合、距離の100分に1に相当する2m後方からスタートする「罰退規則」を採用。着順が優先する競技方式ならではの内規でしょう。

 

この大会では、アメリカ先住民族のJ・ソープが、「やり投」(3位)以外の4種目ですべて1位になり、合計7点で金メダルを獲得しました。2位のF・ビー(ノルウェー)が23点だったことからも、ソープの圧倒的な強さが分ります。2人の種目別記録は表①の通りです。

 

この表を見ると、百年以上前のソープの競技能力がずば抜けていたことが分かります。ところが、翌年に米国でノンプロ野球に出場して数ドルの金を受け取ったことが判明。当時は「アマチュア資格」が極めて厳しく、IOCはソープを失格処分とし、2個の「金メダル」を剥奪しました。死後29年を経た1982年10月に「アマチュア資格」を回復させ、翌年1月にソープの息子に「金メダル」を授与して名誉を挽回させました。

「五種競技」は1924年パリ五輪まで実施されましたが、その後は「10種競技」に一本化されます。日本からは益田弘(慶應義塾大)、上田精一(東京高師、現・筑波大)の両選手が出場しています。

 

「十種競技」の歴史

米国では19世紀末から全米選手権で「十種競技」が盛んに行われ、当時の世界記録や国内記録をもとに「得点表」を作成して競技を実施しています。欧州では20世紀に入ると、デンマーク、フィンランド、スエ―デン、ノルウェーなど北欧諸国を中心に実施され、ドイツでも行われています。1911年10月15日、イエーテボリで行われた記録があり、こうした流れから1912年ストックホルム五輪で実施種目に加えられました。

 

種目は「100m」「走幅跳」「砲丸投」「走高跳」「400m」「110mH」「円盤投」「棒高跳」「やり投」「1500m」の順に2日間で実施。この種目と順序は現在も変わることなく行われています。米国から6名、スウェーデンからの8名を含め12カ国、29名と大量の参加があり、初の五輪では3日間にわたって行われました。

 

初日に全選手が「100m」「走幅跳」「砲丸投」の3種目を行い、2日目は上位23名に絞って「走高跳」を実施。上位18名で「400m」「110mH」「円盤投」を行い、3日目の「棒高跳」へは16名が出場。残る「やり投」と「1500m」に出場したのは14名で、10種目を完了したのは12名だけでした。この種目でもソープが圧倒的な強さで優勝。2位H・ウスランデル(スウェーデン)とソープの記録は表②の通りです。

大会組織委員会が作成した「採点表」は、前回ロンドン五輪各種目の大会記録を1000点とし、記録と得点を「正比例」させて1秒・1㎝当たりで一定の得点を減じていく方式。小数点以下3位まである複雑な表だったため混乱を招き、厳しく批判されました。

写真・表の説明と出典

  • 「五種競技で優勝した1位J・ソープ(米)と2位のF・ビー(ノルウェー)各種目の記録と得点」『The Decathlon -A colorful history of track and field’s most challenging event-』(1989年)Frank Zarnowski DA著p45より筆者が作表(Leisure Press Illinois)
  • 「十種競技で1位になったJ・ソープ(米)と2位のH・ウスランデル(スウェーデン)の各種目記録と得点」『同上書p45と47より作表』
  • 「ストックホルム五輪の混成競技で圧倒的な強さを見せたJ・ソープ(米)の雄姿」『Die Chronik 100 Jahre Olympische Spiere 1896-1996<近代五輪創設100周年記念号・独語版>(1995年)p.32(Chronik Verlag社)
  • 「ストックホルム五輪十種競技の砲丸投を行うJ・ソープ(米)」『Das grosse Buch der Olympichen Spielele』Christian Zenter著(1995年)p.252 (Copress Sport, Munchen )
  • 「J・ソープ(米)がプロフットボールのチ―ムで活躍した当時の記念写真」『Combined Events』 David Lease著(1990年) p.45 (British Amateur Athletic Board <=BAAB>
  • 「ストックホルム五輪十種競技で2位に入賞したH・ウスランデル(スウェーデン)の横顔」『表①②と同上書』(1989年) Frank Zarnowski DA著p.46 (Leisure Press Illinois)

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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