陸上競技のルーツをさぐる64

「やり投」の歴史<そのⅢ>

西欧や北欧における「やり投」

古代ギリシアやローマ時代に競技形式で行われていた「やり投」は、紀元前4世紀頃にガリアの傭兵によってアイルランドに持ち込まれたといわれています。この地方では紀元前1929年から始まったとされる「ティルテインのゲーム」に「やり投」が行われていたとする民話が残っており、古くから盛んに行われていたようです。

 

スカンジナビアチナビアの諸国では、バイキングたちによって「やり」や「銛」などを投げ合うゲームがあります。ドイツの「ジークフリートの伝説(Legend of Siegfried)」のなかには、バルンハイルデ女王(Queen Brunnhilde)とギュンター王(King Gunther)との婚約期間中、王が力強さと素晴らしい技の持ち主であることを証明するために「やり」を投げたという話が出てきます。

 

近世に入ると、英国国王のヘンリーⅧ世(在位1509~1547年)が、「ハンマー投」だけでなく、「やり投」にも精通していたことが知られます。16世紀のフランスの作家F・ラブレー(Rabelaiis・1483?~1553)は、「ガルガンチュア物語」の中で陽気な巨人の王のガルガンチュア(youthful Gargantua)を教育する手段として「やり投」が有効だと述べています。

 

こうしてみると、「やり投」を含む投てき種目が古代から近世に至るまで、王侯貴族・武人の教育や訓練に必須のものとして取り扱われていたことがわかります。

 

18~19世紀にかけ、最も熱心に「やり投」を行ったのは北欧諸国でした。これらの国々は、ドイツやハンガリーから技術を導入するとともに、若者の身体訓練の一環として取り組んだ結果、現代に続く「やり投王国」を築くことになりました。1906年「中間五輪」(アテネ)で採用されて以降、20世紀に行われた21回の「夏季五輪」全メダリスト中50%を超える選手が北欧勢で占められています。

 

近代陸上競技における競技化の過程

19世紀中葉に「近代陸上競技」の規則が整備され、競技が普及するなかで、なぜか「やり投」は種目として採用されていません。最も早く取り組んだスウェーデンでは、1886年にワイゲルトが33m91を投げて優勝し、6年間この記録が破られなかったという記録が残っています。1896年の「第1回スウェーデン選手権」では、H・アンデルセン(Anderson)が、右手と左手の合計記録61m61を投げて優勝しています。

 

この時使用された男子用の「やり」の規格は、1985年まで使われていたものと同じ『重さ800g、全長2m70』のものでした。当時は金属製の「やり」はなく、ヒッコリー、カバの木、西洋ニワトコなどの材質の硬い木材で、金属の「穂先」を取り付け、柄の中央部には結び目のない「むちなわ」を巻いて握り部分を作って片手で投げました。古代から用いられた「アーメントゥム」は使用禁止されました。

 

1906年「中間五輪」と1908年「第4回ロンドン五輪」では、片手で投げる「レギュラー・スタイル」または「クラシック・スタイル」といわれる投法と、もう一方の手でやりの尾部などを支えながら投げることができる「フリースタイル」の2種類の投法で競われました。この両投法で1912年「ストックホルム五輪」の3回大会で連続優勝したのは「王国スウェーデン」のE・レミングでした。

 

「レギュラー投法」と「クラシック投法」

7カ国22名が出場した1906年「アテネ中間五輪」は1~4位までをスウェーデン勢が独占し、5位にも北欧のフィンランド選手が入賞しました。「ロンドン五輪」では、写真②や③の様な「逆手」でグリップを握りながら「利き手」で尾部を押し出して投げる「フリースタイル投法」も実施。「レギュラー投法」で54m82を投げたE・レミングは、「フリースタイル投法」でも54m44で優勝しました。

2種目の差がわずか38cmであったことなどから、「ストックホルム五輪」では「フリースタイル投法」を実施せず、「IAAF」の公認種目からも外れます。以後は、片手による「レギュラー投法」に一本化されて今日に至っています。

しかし、「一次世界大戦(1914~18年)」以降盛んになった世界の女性陸上競技の大会では、なぜか「フリースタイル投法」が生き残っていました。1930年に発行されたF・ウエブスター著の『女子陸上競技』には、1920年代に行われているこの投法での競技の様子が写真とともに掲載されています。

 

写真図版の説明と出典

  • 「1906・08・12年の五輪に「レギュラー投法」で3連続優勝したE・レミング(スウェーデン)のやり投の様子<ロンドン五輪の記録は54m82>」『The 4th  Olympiad being the Official Report of the Olympic pf 1908 Celebrated in London』(1908年)(IOC発行)p.416
  • 「「フリースタイル投法」で競技を行う女子選手M・ヤンデローバ(チェコスロバキア)の「やり投」の様子」『Athletics of Today for Women=History ,Development & Training =』(1930年) F.A.M. Webster著 ( Frederick Warne & Co. ,Ltd)p.194~195写真頁
  • 「同上 L・ヒース(英国)」の様子」『②と同上書』 p.194~195写真頁

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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