陸上競技のルーツをさぐる65

「やり投」の歴史<そのⅣ>

「両手やり投」種目、登場以降の経過

1912年ストックホルムでの「第5回五輪」では、「やり投」は片手での投てき種目に限られました。しかし、ギリシャ時代以来の「身体の全面的な成長・発達を理想とする」観点から、「両手投げ」は「五種競技」と「十種競技」に残されることになります。「十種競技」では「砲丸投」「円盤投」「やり投」の3種目で「利き手」と「逆手」の記録を合計して競う「両手投」を導入しています。

 

「片手投げ」で中間五輪を含む3連覇を果たしたE・レミング(スウェーデン)は、この種目では振るわず、J・サーリスト(フィンランド)の合計記録109m42(61m00と48m42)に及ばず、98m59(58m33と40m26)で4位に終わりました。しかし、五輪における投てき3種目での「両手投」の競技種目は、第一次大戦後の20年のアントワープでの「第7回五輪大会」以降行われなくなります。

 

「やり投」計測方法に関するルールの変更

「やり投」に関するルールは、投てき距離の正確な計測を目指して何度か変更されてきました。19世紀末の英国では、助走路の幅を4フィート(1m22)と定め、これと直角に交わる長さ12フィート(3m65)の「踏切線」を引いて行っていました。計測は「やり」の落下点から、この踏切線に垂線をおろして、踏切線と交わった地点と落下地点までの距離を計測していました。この計測方法では、直角三角形の直線部分の一辺が記録となるため、実際の飛距離の斜辺部分より短くなります。

 

この計測の方法は、「走幅跳」や「三段跳」など踏切線から着地点までの距離が長くない種目では今でも用いられていますが、飛距離の大きいやりの場合は中心線から左右に外れるほど記録は悪くなります。男子の世界記録が80m近くにまで向上してくると矛盾が大きくなり、1952年に図①のように助走路の幅を4mとし、半径8mとこの横幅で作られる緩やかな円弧を踏切線として、そこで出来る「約29度」内を「有効角度」とする計測法に変更されました。

 

計測にあったっては、やりの落下点と円弧の中心点を結ぶ直線が踏切線を横切る部分の距離を採用します。この方式によって、やりが実際に飛んだ距離をより正確に計測することが可能となりました。

 

投法や道具としての「やり」の変遷と世界記録の向上

「やり投」は、男女とも他の投てき種目に比べて軽い「男子用800g」、「女子用600g」の用具を使用しています。この100年間、やり投げに関わった選手たちは飛距離を伸ばすために筋力やスピードを高めるとともに、助走スピードを生かす「腰のひねり」を加える技術開発へ工夫を重ねてきました。

助走から「投げ」に入る時の工夫としては、左右の脚を交差させる「クロスステップ式」がかつては主流でした。その後、後脚でさらに一回ジャンプして体を弾ませてから投げに入る「ホップ式」が有利とされ、この投法で好記録を生み出す選手も現れました。体を後傾させて構えに入れる利点はありますが、助走のスピードが落ちる欠陥があり、まもなくすたれていきました。

 

構えの際にどのように腰を下げ、立ち上がる時にいかに脚力を生かすか。また、構えた瞬間にいかに「弓なりの姿勢」を取るかなどの技術的な工夫がなされました。1899年にレミングが出した記録は49m32。1919年にはJ・ミーレ(フィンランド)が66m10を投げ、1930年には21歳のM・ヤルビネン(フィンランド)が72m93まで記録を伸ばします。

 

第二次大戦からまもなく、B・ヘルド(米)が空中で振動を起こして抵抗を生む細いやりの改良に取り組み、太くて硬く振幅の小さい「やり」を開発。IAAFに使用を認めさせ、1953年8月に80m41の画期的な世界記録を樹立しました。

 

1956年にはF・エラウズスクイン(スペイン)が、助走路で「円盤投」のようにターンする「回転式やり投」で90mを超える記録を出して世界を驚かせました。しかし、この投法では「やり」の飛ぶ方向が不安定で、トラックを走る選手や審判員、観衆を直撃する恐れがあるとして禁止され、記録も公認されずに終わりました。

1959年6月には、身体全体を投げ出す「倒れこみ投法」でA・カンテロ(米)が86m04の世界記録をマーク。1964年「東京五輪」直前の9月にT・ぺデルセン(ノルウェー)が91m72の大記録を出し、1984年7月20日にはU・ホーン(旧東ドイツ)が104m80という前人未到の記録を樹立しました。

 

この記録誕生を契機に競技の安全性が論議され、86年5月1日から男子では「やりの長さや重さ」を変えずに「重心の位置」だけを4cm前方へ移す規格に変更。重心が前になったことで飛距離が落ち、やりの胴体着地も減って落下地点の判定が容易になりました。

 

この措置により、そのシーズンの男子世界最高はK・ターフェルマイヤー(旧西ドイツ)の85m75にとどまり、ペデルセンの記録から約19mも低下します。しかし、記録向上を目指すアスリートたちの努力の結果、1996年5月にはJ・ゼレズニー(チェコ)が98m48をマーク。100m時代到来かと思わせましたが、その後は四半世紀も記録の更新がありません。

写真図版の説明と出典

  • 「今日のルールブックに示されている競技場内の「やり投」競技場設定の説明図」『陸上競技ルールブック2019年度版』(2019年)、<公財>日本陸上競技連盟 P309(kkベースボール・マガジン社)
  • 「1986年度以降の男子用「やり」の形状」と同上書』p.329
  • 「1956年、新技術の回転式やり投で90mを超えの記録を出したF・エラウズスクイン(スペイン)の投てき<危険な投法とされて、公認されず>」『The Guinness Book of Track & Field Athletics Fact & Feats』((1982) P.・Matthews著 p.195 (Guinness Superlatives Limited)
  • 「一世を風靡した「クロスステップ投法」で世界記録を11回樹立したM・ヤルビネン(フィンランド)の投てき<フィンランドを示す母国語の「SUOMI」の文字がユニフォームに読み取れる>」『③と同上書』p.64
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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