陸上競技のルーツをさぐる60

「ハンマー投」の歴史<そのⅢ>

米国における「ハンマー投」の規則作成の過程

米国の東部では、1870年代からスコットランドやアイルランドの移民が「ハンマー投」を導入。母国の習慣を尊重して助走をつけない立位での投法が行われました。

1882年には『ハンマーの全長は4フィート(122cm)。重さ15ポンド(6.8㎏)の鉄球と金属製の鎖に三角形の「ハンドル」を付けた合計16ポンドのハンマーを、直径7フィートのサークルから投げる』という規則が制定されました。これが1908年の「ロンドン五輪」の際の国際ルールとなり、「国際陸連」の規則に導入されました。

このころハンマーの頭部と柄の接合点に丸いベアリングの「転鐶(swivel)」が組み込まれ、ハンマーの動きがスムーズになったことで記録は一段と向上しました。

 

「五輪」に採用された「ハンマー投」とその後の規則改正

1896年の第1回アテネ五輪では実施されませんでしたが、1900年の第2回パリ五輪では英米両国などで広く行われていることが認められ、今日に至っています。

「ハンマー投」の規則は、記録の大幅な向上に伴って20世紀中頃から変遷し、「投てき有効角度」は1954年に「90度以内」から「60度以内」へ。69年度以降は「45度以内」に狭まりました。

さらに、トラック部分や観客席に飛び込む危険を防止するため、サークル周辺に置くフェンスが徐々に狭まり、69年以降は有効角度が「45度以内」に狭められてことに伴って「高さは4m以上が望ましい」と定められました。世界記録が80mを超えた79年以降は「高さ5m以上」と変更を繰り返してきました。

「サークル内の土質」についても、芝や土から55年にはコンクリート製になり、77年以降はアスファルト製などでも良いと変更されました。

ハンマ―頭部の金属球の性質や重心の位置、「接続線」の素材としてピアノ線の太さ、ハンドル(grip)の大きさなどの構造に関する規定が明記されるとともに、近年では手を保護する手袋等の使用制限など細部にわたる規則も加えられています。

 

幻と消えた「重錘投」について

現行の「ハンマー投」以外に、初期の五輪大会でこの種目の原形「重錘投(throwing the heavy weight)」が実施されていたことは案外忘れられています。19世紀中葉の英国では、実用のハンマーを投げる競技のほかにこの種目も行われていました。スコットランドやアイルランドの祭典で行われてきたことはすでに述べましたが、写真のように「56ポンド(25.4㎏ )」もの重量物に「三角形ハンドル」を付けて振り回して投げる競技でした。

1904年の「セントルイス五輪」に続いて行われた20年の「アントワープ五輪」では,

優勝候補のM・マクグラス(米)が大会直前に膝を故障したためハンマー投に絞って出場。同僚のP・マクドナルド(米)が11m26で優勝し、世界記録保持者のP・ライアンが2位になったというエピソードがあります。

 

以降の五輪大会では行われなくなり、この種目の姿を見ることはなくなります。廃止になった経緯を記録した資料を求めていますが、見つかっていません。

「砲丸投」より短い飛距離で躍動感がない。当時の『公式報告集』でも入賞者が上位3位までにとどまっていることからも出場者が少なく、世界的な普及・発展の可能性が低いと判断されたのではないかと推測できます。

ところが、「世界一の力もち」といった昨今のテレビ番組では世界中の巨漢選手が登場して人気を博しており、いささか残念な気持ちになります。いつの日にか再び、陸上競技の種目に復活してほしいものです。

(以下次号)

写真の説明と出典

  • 「1932年の「ロス五輪競技場で「ハンマー投用囲い」を用いて競技する様子」『第10回オリムピック画報』(1932)P32(興文社)<(注)「囲い」内には円盤投用のサークルも設置されているのが見える>
  • 「ハンマー投で当時世界記録を持っていたP・ライアン(米)の<重錘投>の様子」『An Illustrated History of the Olympic』Richard Scaap著(1963年)P.143(Alfred A. Knapf社)
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岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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