陸上競技のルーツをさぐる59

「ハンマー投」の歴史<そのⅡ>

「ハンマー投」が復活した経過

中世の英国で盛んに行われていた「ハンマー投」は、18世紀にはスコットランド、アイルランドなど英国北部の一部地域の祭典行事で細々と行われる種目になっていました。

ところが、19世紀後半になるとパブリックスクールや大学の競技会で実施されます。中世では実用の用具を投げ比べする「槌投げ」でしたが、柄の部分は木製としながらも頭部を「球形の鉄球」に変えたハンマーに進化。再び日の目を見ることになりました。

競技をするのも見るものも面白かったことに加え、若者たちの「身体訓練」や「力くらべ」に適していたため、この種目は短期間に正式種目の地位を占めるようになりました。

1860年に始まったオックスフォード大学の校内大会で採用されたことを契機とし、66年に行われた「第3回オ大対ケ大2大学対校陸上」で実施。両校の卒業生たちで組織された「アマチュア陸上競技クラブ(AAA)」が主催した「アマチュア選手権」のフィールド種目にも採用されました。

当時の「ハンマー投」は、初心者向けには3フィートから3フィート6インチ(91~106㎝)の長さの木製の柄に7~11ポンド(3.18~4.99㎏)の金属球を付けた比較的軽いものが主体。経験者は総重量が正式の砲丸投用と同じ重さの16ポンド(7.26㎏)のものや21ポンド(9.53㎏)のものを使って試合を行いました。その後は、21ポンドの重いハンマーは費用がかさむという理由で使われなくなります。

「二大学対校戦」や「アマチュア選手権」では、ハンマーの重量は16ポンドとしながらも柄は本人の好みに応じて長めの4フィート(1.22m)も使用可能。投てきのための加速助走は、踏切ラインを越えなければどの地点から投げても記録は公認されました。このため、ハンマーを振り回しながら3.5~4.5mほどの助走するのが通例でした。

スコットランドなど一部地域では、「ハイランド・ゲームス」の1種目として地元の民族衣装を身につけ、木製の柄のハンマーを投げ合う試合を行っています。重さ16.5~24ポンド(7.48~10.89㎏)の重さのものを使った形跡もあります。

1875年以降の「アマチュア選手権」では、頭部の重量を含めて『ハンマー全体の長さは3フィート6インチ(106㎝)、助走距離は7フィート(2.13m、現在のサークルの直径と同じ)以内とする』との規則が定められました。

その結果、66年当時は36m63の記録が70年代には38m63にまで伸びましたが、規制により記録は再び下降。100フィート(=30.5m)にも届かないものになりました。しかし、伝統を重んじる「二大学対校戦」では、81年まで助走距離は無制限を容認。よく折れる木製の柄に代わり、直径1㎝ほどの「クジラ骨」が柄として使われました。

「全英選手権大会」における「ハンマー投」

1880年には英国各地のクラブを統括する「英国陸連(AAA)」が創設されます。「ハンマー投」は初回の「全英選手権大会」から採用され、今日に至っています。当時定められた規則は以下の通り。

  1. ハンマーは直径7フィートのサークル内から投げる。
  2. ハンマーの柄と頭部の総重量は16ポンドとする。
  3. ハンマーの頭部は鉄製の球形で、柄は木製とする。
  4. ハンマーの頭部の先端から柄の端までは4フィートより長くないものとする。

柄の部分は後に金属製のワイヤーとハンドルを付けたものに変わり、サークル内の表面も土から滑らないコンクリートになっています。ただ、1887年から96年までの10年間はサークルの直径が9フィート(2.74m)に拡大。96年からは『柄は曲がりやすい「金属製」のものを使っても良い』とされました。

初期の競技では図版のように「握り」の部分は木製の柄と同型。三角形の「ハンドル」は使用していなかったので、記録的には大幅な向上は望めなかった。「オリンピック大会」が始まると、先端の「ハンドル」が規則で認められ、記録の大幅向上に結び付きました。

(以下次号)

写真の説明と出典

  • 「1869年のオ大対ケ大対校戦におけるハンマー投の様子(木の柄が使われている)」
    『A World History of Track and Field Athletics 1864~1964』 R.L.Quercetani著(1964年) P.230~231間の写真頁(Oxford University Press社) 「Oxford University Press 社」
  • 「スコットランドのWindy Dayにおけるハンマー投の様子(木の柄が使われている)」『The Essential Guide to Highland Games』Michael Brander著(1992年)P.72~73間の写真頁 「Canongate Press PLC Edinburgh」
  • 「スコットランドでのハンマー投の様子(木の柄が使われている)」『スコットランド旅行中に配布されたパンフレットの表紙」(1994年)
  • 「第2回パリ五輪」の優勝者、J・フラナガン(米51m23)のハンマー投げの様子(ハ
    ンドルのない金属線を使用している」」『The Official Centenary History of the Amateur Athletic Association』Peter Lovesey著(1979年)P.51 [Guinness Superlatives Limited社]
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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