陸上競技のルーツをさぐる47

「砲丸投」の歴史<そのⅠ>

投てきの歴史と「砲丸投」

直立二足歩行を始めた人類は、手の自由を獲得したことで外敵となるさまざまな動物から身を守る手段が増えました。食べるために動物を捕獲する工夫も重ね、生き延びてきました。

 

用具、道具を作り出し、落とし穴を掘って生け捕りにする。さらに古い時代には、身近に落ちている石塊を獲物に「投げ付ける」ことだったと考えられます。

さらに時代が下がると、より短時間で正確に目標物に命中させ、かつ致死率を高めるために「やり」、「弓矢」や「銃」などの用具や道具、器具が生み出されました。

「投げる」動作は、「走る」動作や「跳ぶ」動作とともに、人間の最も基本的な動作のひとつとして、われわれの生活の中で常に重要な位置と意味を与えられてきました。

このように生まれてきた「投てき」の各種目ですが、「砲丸投」が競技化される背景には次の事が考えられます。

古くから狩猟や軍事上の目的で重い木塊、石塊や金属塊を投げる機会が世界中であり、これを遠くに投げ、持ち上げ、運ぶなどのコンテスト形式は各地で生まれている。

こうした重量物を投げ、運搬する動作そのものが、特に男性の筋骨たくましい身体つくりに役立つこともあり、トレーニング手段としても世界各地で行われてきた。

したがって「砲丸投」は、今日のように機械化が進行している現代社会でも、いまだに陸上競技の重要な「投てき種目」として生き残り、人々の共感を得ながら実施されています。

そのため、人類が出現して以来の生活や労働の面影が色濃く反映されているこの種目の勝者は、世界中から多くの賞賛を受けるのです。

 

重量物投てきの種類と呼び名

このような背景のもと、古くから世界各地でさまざまな種類の投てき大会が行われてきましたが、「石塊投(putting the stone またはthrowing the stone)」、「丸太投(tossing the caber)」、「金属塊投(throwing of the iron)」、「棒投げ(casting the bar)」などは、いずれも「砲丸投」につながっていった種目でした。

しかし、これらは平板にした金属塊や木板を投げる「円盤投(discus throw)」や石塊や金属塊に紐や縄、金属線、鎖などを結びつけて遠心力を利用してより遠方に投げ飛ばす「重錘投(throwing the heavy weights)」、実用の道具や農工具としての「鉄槌(ハンマー)」や「大槌(sledgehammer)」、「斧(axe)」を投げる「ハンマー投」などとは区別され、「砲丸投」は近代陸上競技の中核種目に位置付けられてきたのです。

 

「砲丸投」発生の諸説

ギリシア時代の詩人ホメロスの叙事詩のなかに、「円盤」を投げ合う様子がうたわれています。

これがその後の「古代ギリシア競技」で行われた「円盤投」と同じものであったかどうかの確証はありません。

というのは投てき物が木や金属の平板であったのか、石塊または金属塊であったのか、あるいは重さがどうだったかによっても、投法はまったく違ったものになっていたと考えられるからです。

「古代ギリシア競技」で行われていたのは、遺跡からの発掘物によって、多くは金属製の「平板」を投げる「円盤投」であったと考えられます。

また、紀元前5世紀後期の作品であるエトルリアの青銅像は、ギリシア競技で使っていた円盤よりもさらに重い「石」を投げる様子を示していて、今日の「砲丸投」競技に近いものです。

 

今日実施されている「砲丸投」に発展してきた過程はさまざまですが、英国北方のケルト族の古代伝説を記した『レインスターの本』に、紀元前1829年の「ティルティンのゲーム」の種目の一つとして、「砲丸投」が実施されていたことが記されています。

アイルランドやスコットランドの各地では、民族競技のひとつとして「重量投げ」が長年にわたって行われてきていることはよく知られています。

その伝統を受け継ぎ、1860年、アイルランドの首都にあるダブリン大学の陸上競技会の種目に16ポンド(=7.26kg)の鉄製の砲丸(iron shot)を使った競技を採用しました。

これと同じ重量の砲丸を使っての「砲丸投」は、今日の「国際陸連」の公認種目として引き継がれています。

近代に入って大砲の鉄製砲弾(=砲丸)が開発され、兵士たちが砲弾(砲丸)を運搬する手段として遠くに投げるコンテストをしてうちに競技化されてきたという説もあります。

以下次号

写真の説明と出典

  1. 「古代の石投げ競技の想像図」『Wonders of Bodily Strength & Skill』C. Russell(英訳)(1870)p.51(Cassell & Co.)
  2. 「1800年代スコットランドにおける<石投げ>競技の様子(=マクドナルド選手)」
    『Man of Muscle & the Highland Games of Scotland』(1901)表紙裏の写真
  3. 「スコットランドのハイランド・ゲームスで今日も行われている「棒投競技」の様子」
    『The Essential Guide to Highland Games』Michael Brander(1992)p.72写真ページ (Canongate)
  4. 「同上の大会の挿絵(John Gardner絵)」『Scottish Highland Games』David Webster(1959)p.46 (Collins : Glasgow &  London)
  5. 「1929年、ドイツにおける青年の棒投げ訓練の様子」
    『Leichtathletik im geschichtilichen Wandel』Hajo Bernett著(1987)p249(Hofmann Schorndorf )
  6. 「1930年、ドイツにおける<石投げ(15kg)競技>再現大会の様子」『⑤と同上書』(1987)p.164
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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