陸上競技のルーツをさぐる27
競歩競技の歴史<そのⅡ>
英国における競歩競技の中心が「7マイル(=11.26km)競歩」に定着
グランドを使ったアマチュア中心の試合では、競走とフィールド競技が中心でしたが、競歩種目については1866年3月23日に始まった「第1回アマチュア陸上競技クラブ(AAC)大会」の種目の中に「7マイル競歩」が採用されました。
競歩種目として7マイルが唯一選ばれた理由として、距離が長くなればグランドのレースとしては所要時間が長すぎて大会運営上支障をきたします。これより短い距離では、選手たちはスピードを上げようして「いずれの足が常に地面から離れないようにして前進すること」という「競歩競技」の規則が守られないことが多くなり、この規則が守られているかどうかの判定が非常に難しくなる。これらのことから、人間の歩くスピードと持久力の限界を試すのに最も適したこの距離が選ばれたものと考えられます。
この大会の優勝者、ケンブリッジ大の学生J.チャンバースの記録は、59分32秒でした。その後、この7マイル競歩がグランドでの競歩競技の距離として定着していきましたが、時には、2マイル(=3.2km)程度の短い種目が行われることもありました。短い距離の場合はどうしても「走」に近い形になり、絶えず反則かどうかの判定を巡っての混乱が生じ、短い距離の競歩競技は次第に行われなくなっていきました。
オリンピックにおける「競歩競技」
1896年から始まったオリンピック大会における競歩競技は、第1回アテネ大会では実施されず、1906年に「復活10周年」を記念して開催された、俗に「中間大会」といわれる大会では1500mと3000mの2種目の競歩種目が行われました。これが契機となり、1908年のロンドン大会では3500mと10マイル(=16.1km)が、1912年のストックホルム大会では10000m、第一次世界大戦を挟んで、1920年のアントワープ大会では3000mと10000m、1924年のパリ大会では10000mが行われました。
オリンピック大会では大会ごとに距離設定が変わりました。その理由は、第二次大戦前までの大会では個人の競技だけでなく「国別対抗」も実施されていたため、開催国が自国に有利な種目を採用したことが挙げられます。英米の両国は当時、得点獲得のために開催国へ圧力をかけていたこともあり、大会ごとに「距離」が決められたという経緯があったのです。
その後の大会で「7マイル競歩」の判定をめぐって紛糾したため、1927年の国際陸連総会で競歩競技の存続をめぐって激論が交わされました。米国、英国、豪州など「存続派」とフィンランド、ノルウエーなどの「廃止派」が対立して決選投票した結果、9対8で「廃止派」が勝利し、1928年のアムステルダム大会では実施されませんでした。
しかし、28年の「第9回国際陸連総会」で再びこの議題が提案され、1932年のロサンゼルス大会からは、競技場を出発・決勝とする道路を使った「マラソン競歩」というべき「50km競歩」を実施することを決めました。同時に「競歩」の競技規則「いずれの足が常に地面から離れないように前進すること」を再確認しました。
これ以降、「競歩」は五輪や世界選手権など国際的な大会では道路を使ってトラック種目より長い距離を歩くことにより「走る動作」を未然に防ぎ、反則歩行をめぐる審判上のトラブルや失格を出さない方法で実施することになりました。
第二次大戦以降のオリンピック大会では、1948年のロンドン大会、1952年のヘルシンキ大会では道路で行う「50Km競歩」のほかに、競技場内で再び「10000m競歩」を実施しました。しかし世界的な支持は得られず、1956年の「メルボルン大会」からは道路上の周回コース使った「20km競歩」を導入し、1930年代以降行われてきた「50km競歩」との2種目を公式種目として実施。競技場内で行う5000m~50000mに至る各種の距離と、2時間以内に歩いた距離を競う種目などが世界記録・世界最高記録として公認され、現在に至っています。
マラソン競走よりも長い50km競歩が選ばれている理由は、恐らく「走っても」「歩いても」結果的に記録が変わらないような「超長距離」を採用することによって、難しい競歩としての判定を避けようとしたのではないかと思われます。
女子の種目については、1923年に始まった英国女子選手権において、800mから2500mまでの各距離の競歩が行われていました。1926年のイエーテボリでの世界女子選手権では、競技場内で行う1000m競歩が採用されました。現在の国際的な大会では10km競歩が道路を使って行われています。そこに至るまでの段階では、競技場内での5000m~50000mと5km、10kmの競歩が世界記録あるいは世界最高記録として公認され、実施されてきました。
以下次号
写真図版の説明と出典
- 「1928年アントワープ五輪における競歩競技の様子」
『An Illustrated History of the Olympics』(1963)Richard Schaap著 P 91(Alfred A. Kopf) - 「1912年ストックホルム五輪における競歩選手と審判員の様子」
『The ITV Book of the Olympics (The Games Since 1896 A Pictorial Record) 』(1980)James Coote著 p35(Independent Television Books) - 「1936年ベルリン五輪における競歩競技の様子」
『Olympic Cavalcade)』(1948) F.A.M.Webster著 p200~201(Hutchinson) - 「1936年ベルリン五輪50km競歩(4時間30分41秒1)で優勝の長身選手Harold Whitlock選手(英)の雄姿」
『Olympia 1936 Die Ⅺ Olympshen Spiele in Berlin -Band Ⅱ―
(ベルリン五輪公式記録集 その2)』(1936)大会組織委員会編