ポーランド戦の日本代表のプレーから, フェアプレーを考える

1.賛否両論

世界中が熱狂したサッカーのW杯ロシア大会で,日本代表は予想を上回る健闘で多くの賞賛を受けましたが, 同時に厳しい非難を浴びることにもなりました。グループリーグ(GL)H組の対ポーランド戦終盤,0-1でリードされた場面で攻撃せず「時間稼ぎ」のパス回しに終始し,激しいブーイングを受けたことはご承知の通りです。西野監督の采配を「批判を覚悟の上で下した勇気ある決断」と評価する声があった一方で,「スポーツマンシップに反する」との非難も沸き上がった。子どもたちへの悪影響を懸念する指摘も目立ちました。賛否両論が渦巻いた日本代表の選択は,保健体育教師やスポーツ指導者にとっても格好のテーマになるでしょう。

2.フェアプレーとはほど遠い?

日本戦と平行して他会場で行われていたコロンビア- セネガル戦は,コロンビアが後半に1-0とリードする展開。両会場の試合がこのまま終了すれば,順位決定戦の仕組みからコロンビアが1位で,セネガルと同勝ち点ながら警告数などの「フェアプレーポイント」の差で日本が決勝トーナメントへ2位通過する状況が生まれていました。

後半37分に交代出場した長谷部主将が身振りも交えてイレブンへ「警告を受けないように」とのベンチの指示を伝えました。国際サッカー連盟ランキング8位の強豪ポーランドはここまで2連敗で,すでにGL敗退が決まっていました。1勝もせずに母国へ帰るわけにいかない。

リードしたまま試合を終わらせたいポーランドは猛暑の中で足が止まり始めており,「願ってもない」日本の戦法に応じてボールを奪いにいく気配がなくなりました。パスが途切れないため選手交代できず,相手監督がたまらずピッチ内の選手に指示して1人が倒れ込み,ようやく交代が完了するコントのような場面までありました。

試合終了後,日本に対して世界中から批判が浴びせられました。英国のガーディアン紙は「最もスポーツマンシップに反したひどい試合だった」と酷評。フランスのメディアは「会場のごみ拾いをする日本サポーターに好感を持っていたのに,大きなイメージダウンだ」と厳しい論調でした。

国内でも「がっかりした。日本は自陣に引きこもり,ポーランドもボールを奪いに来ない。談合のようで失望した」といった批判が沸き上がりました。少年サッカーの指導者からも「フェアプレーとはほど遠い試合。子どもたちには見せられない」といった声が上がり,スポーツの研究者からも「子どもたちも注目している試合だったので,最後まで正々堂々と戦う姿勢を見せてほしかった。勝ち上がることは大事なことだが,勝つためなら何をしてもいいというようなメッセージにならないよう, プロ選手も意識すべきだ」(早大の友添秀則教授=スポーツ倫理学)との指摘がありました。

3.「手抜き」という批判は 正しいか?

では,この日本のプレーは何が問題だったのか。第一に,どんな場合でも全力を尽くすというスポーツの目指すべき姿から外れている点でしょうか。国際サッカー連盟(FIFA)の「フットボール行動規範」では,最初に「1 勝つためにプレーする勝利はあらゆる試合のプレーする目的です。負けを目指してはいけません。もしも勝つためにプレーしないのならば,あなたは相手をだまし,見ている人を欺き,そして自分自身にうそをついています。強い相手にあきらめず,弱い相手に手加減してはなりません。全力を出さないことは,相手への侮辱です。試合終了の笛が鳴るまで,勝つためにプレーしなさい」と定めています。
しかし,この場面を客観的に眺めれば,あくまでGL最終戦であることが重要です。GL勝ち上がりの条件は① 勝ち点,②得失点差,③当該国同士の勝敗――がものをいいますが,それでも同条件の場合は「フェアプレーポイント」の差で当落が決まります。「フェアプレーポイント」はこの大会で初めて採用された新たな規約で,この時にイエローカード(警告)の累積が6 枚だったセネガルに対して,累積が4枚だった日本が勝ち上がる状況でした。日本はこれまで「負けても決勝トーナメント進出」というアドバンテージを持ったことがなかった。1つ上のランクになったから受けた批判だったのです。

「全力を尽くさなかった」との批判ですが,GL最終戦ではすでに勝ち残りを決めている有力国は,主力選手をごっそり外して控え選手にプレーさせています。G組のイングランド-ベルギーは,1位通過すると準々決勝で優勝候補のブラジルと対戦することになるため,どちらも勝利を目指す真剣なプレーとはいえない内容でした。「空気を読まなかった」ベルギーの控え選手のゴールでイングランドは負けて首尾よく2位通過し,目論見通りベスト4にまで勝ち上がりました。C組のフランス- デンマークも,そのまま1,2位通過を狙って「手抜きプレー」に終始し,大会唯一のスコアレスドローでした。

このような「手抜き」は他競技の陸上競技などではしばしば見られます。引退した男子短距離のウサイン・ボルト(ジャマイカ)などは予選,準決勝レース後半でスピードを緩め,悠々とフィニッシュしていました。通過が確実な場合,次ラウンドに余力を残すための当然のレース戦術とされます。決勝で最高のパフォーマンスを発揮するための策が批判されることはありません。ハンドボールでは攻撃が消極的な場合は「ストーリング」の反則になり,バスケットボールでも時間内(24秒ルール) にシュートしないと相手ボールになります。サッカーにはこの規則がなく,時間稼ぎはある種,容認されているともいえます。

4.「他力本願」か,英断か?

第二は,日本の作戦が他会場の結果に左右される「他力本願」だったことです。セネガルが同点に追い付けば,セネガルが優位に立つ場面。残り15分あまりで得点のチャンスはあり,そうなれば日本の作戦は裏目に出る。ライバルチームの結果に自らの運命をゆだねる難しい選択には違いありません。

では,日本が自力で同点,あるいは勝ち越し点を挙げることが可能のでしょうか。この日は連戦の疲労が濃い主力を外して控えの7選手を起用しましたが,攻撃は機能せずゴールが遠かった。攻めに出て逆に致命的な2点目を失う恐れもありました。もう一方の会場ではコロンビアが明らかに優勢でした。もともと守備が堅く,1位通過を目指すコロンビアがそのまま逃げ切る公算が大きい。現地に送り込まれていた日本のスタッフからの情報も判断材料になったでしょう。わずかのミスから1点が生まれることはサッカーでは普通のことですが,日本がポーランドに追い付くよりも,コロンビア勝利の可能性が高い。このまま0-1の敗戦を受け入れ,結果が裏目に出た場合のリスクも見込んだ上での決断だったことは明らかです。

戦った選手,監督,コーチたちはどう受け止めていたのでしょうか。試合後の長谷部主将は「見ている方にはもどかしいゲームになったが,これが勝負の世界」と少し苦笑いを浮かべながらインタビューに答えました。西野監督は試合後のミーティングで,攻撃をさせず「ブーイングを浴びせられながらプレーさせたこと」を選手とスタッフ全員に謝罪しました。それに対し,選手から「それを監督にさせたのは自分たちがふがいなかったから」という声が上がり,全員が「次のベルギー戦で見返してやろう」という強い気持ちでひとつになったといいます。

1993年のW杯アジア最終予選「ドーハの悲劇」。勝てばW杯初出場が決まる残り時間わずかのところで,ベンチのオフト監督からの指示が伝わりきらず,日本は同点ゴールを許してしまった。当時の日本のサッカーには, 時間をうまく使って試合を終わらせるという発想がなかったのです。あれから四半世紀。筆者は,負けても勝ち上がれるという状況で日本代表が落ち着いてこれを受け入れ,大会直前に就任した日本人監督とともに目指すステージへ進んだことを評価します。

強豪ブラジルを倒して「マイアミの奇跡」とたたえられた1996年アトランタ五輪の西野監督ですが,この時の日本はGLで2勝しながら得失点差で敗退しています。勝ち残ることこそがGLの最大のテーマであることを誰よりも知るのが西野監督だった。加えて,選手たちは欧州でリーグ降格やチャンピオンズリーグでの勝ち残りの厳しさを日々,骨身で味わってきています。ベンチからの指示を受け入れ,一丸となって試合を締めくくることができたのは,キャリアのなせるワザだったのでしょう。

5.中学生に何を伝えるか?

「サッカーは少年を大人にし,大人を紳士にするスポーツだ」とは,1968年メキシコ五輪で日本を銅メダルに導いた日本サッカーの父,故デットマール・クラマーさんの言葉です。一方で,サッカー界には「マリーシア」という概念があります。反則ではないが「狡猾に」有利なポジション取りや時間稼ぎをすることで,サッカーではむしろ「賢いプレー」とされます。「最後まで全力を尽くして戦う」ことが唯一最大のテーマになっている日本のスポーツ界にはなじみにくい概念ですが,国際舞台では当然のこととされています。

では,日本のサッカーはこれまで国際舞台でどんなプレーをしてきたのでしょうか。2011年の女子W杯では「なでしこジャパン」が優勝と同時にフェアプレー賞を獲得。古くは銅メダルのメキシコ五輪男子チームもフェアプレー賞を受けていますし,各種国際大会では日本勢は同賞の常連になっています。ロシア大会でもGLでの反則数は出場32チームで最少の28。2位はブラジル,スペイン,ドイツの29でした。反則なしでも勝てる強豪国以上にクリーンな戦いをしたのです。世界でずっとフェアプレーを心掛けてきたことが,今回の勝ち上がりの背景にあったことは記憶にとどめておくべきです。

決勝トーナメントの対ベルギー戦で見せた日本の戦いぶりは世界から賞賛を受け,高まっていた批判は潮を引いたように消え去りました。もちろん,消極的なパス回しをした事実は消えませんが,この舞台で戦う力のあるチームであることを世界に認めさせたわけです。ポーランド戦残り10分ほどのプレーだけでなく,日本の振る舞いはW杯すべてのプレーを通じて判断されるべきだったのではないか。

少年サッカーの指導者たちに伝えたい。世界中でさまざまな価値観に従ってプレーされているサッカーには, 日本人には馴染めない様々な側面がある。戦いのステージにも段階があり,国際レベルの大会ではこういう選択肢もあることを。子どもたちには,自分たちが目指すべきプレースタイルとは違うサッカーがあることを,ある段階で理解させることが必要なのです。

ドナルド・トランプが米国大統領になり,金正恩のような独裁者と世界の運命について会談するような時代です。望ましい理念とはかけ離れた現実が進行する時でも,現実から目を背けるわけにはいかない。高級官僚が平気で嘘をつき,セクハラをしても大臣や首相が知らん顔をしている。そんな姿を子どもたちはしっかりと見ています。現実社会はそうであっても,自分たちは大切にしている理念を掲げて違う生き方を選択する。そういう子どもたちに育てるには,スポーツ指導者は世界がどんな仕組みで動いているのか,正面から受け止めて伝えるべきではないか。ポーランド戦の日本代表のプレーには, そういったヒントが満載でした。

(この記事は、中学保健体育科ニュース(2018年9月15日発行)2018年№.3(通算29号)に掲載された記事です。)

The following two tabs change content below.

船原 勝英

1974年度卒 筑波大学陸上競技部OB・OG会幹事長 
プロフィール詳細

最新記事 by 船原 勝英 (全て見る)