エッセー(8)マラソンのトップ集団にみられる社会性

マラソンは決まった距離をいかに速く走るかを競うスポーツである.

そのためには,充実したトレーニングやテーパリング(徐々に減っていくこと)などを通じて最高の心身のコンディションで臨まなければならない.一旦スタートすると自分自身,あるいは,ライバルとの競走になる.

スタートするとただちに位置争いが始まり,それが一段落すると優勝・世界記録・日本記録・コース記録・自己記録など思い思いの記録を求める者、ついて行けるところまで行こうとする冒険的ランナーたちによる異種のトップ集団が形成される.

しかし,レースが進むにつれ1人抜け2人抜けする度に異種から同種の構成員に精選されてくる.

 

大都市で開催されるマラソンレースでは個々人の勝利に対する高い意識が冒険を避けようとするあまり低速のペースにならないように(合成の誤謬),また,早い段階からの大幅なペース変動による無用な争いを避けるため,主催者側からペースメーカーが準備されている.

しかし,ペースメーカーのスピードはしょせん、集団の構成員が自然発生的に構築した任意のペース,すなわち,必ずしも構成員の総合された目標やコンディションによるものでないために、選手によっては集団に存在することが不認知の満足現象(ぬるま湯に浸ること)になる.

すなわち,トップ集団は成員の“集団の妥協”によって構成されている.

そして,個々のランナーは一緒に走っているのだと言う共同動作効果と安心感が42.195kmを走るきるエネルギーを相互に造り出している.

 

集団の成員のランニングリズム(正確にはテンポであるがここではリズムに統一する)は個々人によって異なる.

ヒトは自分のリズムに合った音楽が聞こえてくると神経活動が活発になる.

例えば,ダンス音楽だと自然にからだを動かし始める.この現象は“引き込み現象”と呼ばれる.物理学では同期現象とも言う.

例えば,2台の振り子時計を1枚の薄い板を挟んで背中合わせに吊るすと,何日かすると2つの時計の振り子の振れる方向が一致してくる.

すなわち,同期現象が現れる.(これは振動子による).

 

生物学では,ほたるやコオロギを虫かごに入れると同時に発光したり鳴いたりする.

これは相互に引き込まれる現象であるので“相互引き込み現象”と言う.

これに対して,本来生体の1日のサーカディアンリズムは約24.5時間の周期であるが,地球の自転は丁度24時間である.

そのため生体は普段地球の絶対的な時間に引き込まれており,この現象を“強制的引き込み現象”と言う.

 

この種の引き込み現象がトップ集団のランナー間にも観られる.

ランナーの真後ろを走ると前のランナーのリズムに強制的に引き込まれる.

それは,相手を見るでもなく見ている中に自然に相手のリズムに引き込まれるのである.

これに対して,並列で走っていると相互に相手のリズムに引き込まれる.

相手のリズムに引き込まれないようにするには、前方の選手を注視しないように真後ろでなく前方が見える位置で走ることである.

また,並走は一緒に走りましょうと言う無意識的な行動(共存姿勢)であるため,相互引き込み現象が現れ易い.

駅伝では“並走するな”と言われるのは,共存意識が強すぎてペースがダウンしやすいためである.

 

ランナー間のリズムに大きな差がある場合には感覚的に走りづらく,集団の中でも無意識的に距離を置く(避ける).

かつて,中山選手がいつも集団の前方数メートル離れて1人で走っているのでその理由を聞くと,「集団の中で走ると走りづらいから」と答えた.

想像するに長身の中山選手が集団の中に入って走ると,他のランナーとリズムが違いすて走りづらく感じたのであろう.

 

ペースが速ければ速いほど空気抵抗の影響が大きくなる.

仮に,2時間10分のペースでは前方のランナーの2メートル真後を走るランナーは前のランナーに比べ同じエネルギーで2~3分速く走れる.

しかし,どう考えてもそれほど大きく影響しているように思えない.

それは,前方のランナーが自分のリズムとペースで走っているのに対して,後方のランナーは前方のランナーのペースとリズムで走っているので,余分に負の影響があるからであろう.

 

前半から中盤にかけた和やかな雰囲気もペースメーカーが離れる30㎞付近に近づくにつれ,集団のざわめき(位置対する動き)が大きくなる.

これまで集団の一員であることを不満に思っていたランナーは満を持したかのようにペースアップする.すると集団の雰囲気は一変して順位争い・記録争いに転じる.

すなわち,これまでの“共存”ムードが“競争”ムードに変る瞬間である.

これまで集団に存在してきたランナーの不満が強ければ強いほど、新たな闘争エネルギーが生まれる(不満生産性の法則).

 

集団は縦長型に移り,離合集散を繰り返しながら最後はランナーが勝ちたいと言う“意欲”,勝てるのだと言う“自信”、勝って見せるという“情熱”の強さによって順位が決まる.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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