陸上競技のルーツをさぐる53
「円盤投」の歴史<そのⅠ>
競技としての「円盤投」の歴史
「円盤投」の歴史を探ることは、前回の「砲丸投」と同様、人類誕生以来の「投てき」の動作がなぜ始まったのかを追究することになります。ここでは競技形式で行われるようになった経過を考察します。
前回「砲丸投」の項で示したように、古くはホーメロスの『オデュセイアの』第8書に、オデュセウスがパイエーケス人の競技会で当地の男たちが日ごろ投げている石よりも重い「円盤」を投げて力を誇示したとの記述があります。第4書や第17書にも「円盤やヤギ狩り用の細身のヤリ」を投げ合う場面の記述があります。
当時書かれた書物の中には、投てき物を表す言葉として、「discos」や「solos(銑鉄の塊の意味)」が同義語として使われています。しかし、古代史学者のN・ガーディナー博士は『古代社会の運動競技(Athletics of the Ancient World)』のなかで「”solos”はたんに玉石とか石や金属の塊を意味している」と述べており、この二つはそれぞれ別のものだったのではないかと思われます。
ここでいう「ディスコス」は石製か金属製の「円盤」で、中央部が周辺よりも幾らか分厚くなっていて、紀元前6世紀の黒絵壺には一般に厚くて白い物体として描かれています。
前6世紀末になると、もう少し持ちやすい金属製の「ディスコス」が使われるようになり、前5世紀頃にはこれがギリシャ各地へ普及していきます。
「円盤」にかかわる語の由来
「円盤」を意味する英語の「discus」は、ギリシャ語・ラテン語の「diskos」に由来しています。英語ではここから派生した「disk(平円盤・レコード盤等)」や「dishi (皿・金属または陶磁器の大皿)」があり、類似語には「quoit(鉄環)」があります。
また、円盤投選手のことを「discobolus」と言いますが、これはギリシャ語、ラテン語の「diskos」と投げる(throw)事を意味する「bolos」を合成した言葉です。
「円盤投」が盛んに行われるようになった頃、優秀な選手を讃えて多くの選手像が作られましたが、なかでも、前5世紀に作られたといわれるミュロン作の「the Discobolus」が最も有名です。大英博物館に現存する写真①の「円盤投競技者像」は、前1世紀のローマ時代に大理石で制作された複製とされています。
古代競技に使われていた「円盤」と円盤投の方法
「円盤投」が「古代オリンピア競技」に登場したのは、前708年「第18回大会」で行われた「古代五種競技<これについては「混成競技」の項で詳述予定>」の1種目として行われたのが最初。当時の「円盤」は大きさや重さが決まっておらず、大会ごとに違ったサイズのものが使われていました。
ギリシャ各地の大会で用いられた「円盤」は当時の競技場遺跡から発掘されており、ガーディナー博士の前出の著書に示される表②に示す通りです。
表②
石製のディスコスの例では、直径11インチ(約28㎝)以上で、重さは15ポンド(約6.8㎏)以上もあり、現代なら「円盤」というより「砲丸」の重さに近いものでした。金属製のディスコスは出土した場所によって異なり、その代表例は大英博物館に展示されている前6世紀の刻文のある「青銅製の円盤」です。
円盤の大きさや重さが異なるのは、成人用と少年用の違い、各地の競技会の慣行の違いだと考えられていて、それぞれが実際に各地の競技会に使われていたものであることは、各円盤の裏に刻まれている文字から読み取ることができます。
(以下次号)
写真の説明と出典
- 「ローマ時代の前1世紀頃作といわれるミュロン作の大理石製の「the Discobolus
円盤投者像」『大英博物館売店で1984年に筆者購入の絵葉書』
- 「古代競技の遺跡から出土した円盤の重量・直径・厚さの表」
『Athletics of the Ancient World』E. Norman Gardiner D. Lit 著 (1930 ) p156 より筆者作成 (Ares Publishers Inc.)
- 「青銅製の円盤に刻文された文字(大英博物館所蔵)」『②の日本語版<「ギリシャの運動競技」>』原著者②と同じ、岸野雄三訳(1981)p174 (プレスギムナシカ)
- 「IOCアカデミー事務局長室に飾られているオリンピア遺跡から出土した円盤3枚」『1994年筆者が同事務局を訪問した時、局長室で撮影』