科学エッセー(39)マラソンレース集団の性格

集団とは,成員の数が複数であること,そして成員相互のつながりに強弱の差はあるが連帯意識が内在していることといえる.マラソンの集団では選手の目的が明確であることから,集団の凝集性はかなり高い.

 

例えば,昨秋に開催された五輪代表選考レース(MGC)では,多くの選手の目的が2位以内あるいは最低3位内に食い込むことであったことから,先頭集団の凝集性は他のマラソンレースに比べ極めて高かったと言える.

 

選手はスタート前にあらかじめペースを決めており,先頭集団の中で走ろうと思っている選手はスタート直後意図的に先頭集団を形成するが,後方の第2集団,第3集団・・になるにつれ自然発生的に集団が形成される.先頭集団の成員は少なくとも中盤までは競走意識よりも精神的,物理的,生理的に相互依存(協同作業効果)を保ちながら淡々と走る.

 

しかし,レースが後半に入り選手の順位争いや記録争いの意識(雰囲気)が高まるにつれ,集団は徐々に落ち着きを失い,やがて,崩壊が始まる.

 

集団のペースは成員があらかじめ決めていたペースに近似するが,必ずしもすべての選手が満足するペースではない.その意味では集団は等質というよりは異質である.そのため集団のペースが個人の実力に比べ速すぎる選手は徐々に離れ出し,集団の数が減少する.

 

例えば,先頭集団のペースが上がると集団から離脱した選手は下位の集団に吸収され,さらに,下位の集団へと離合集散を繰り返えす.すなわち,上位の集団から下位の集団に吸収された選手が再び上位集団に返り咲くことはきわめて稀である.

 

ペースメーカーが存在する時には,先頭集団の成員は中盤までは潜在的に彼らにペースを託する傾向が強いことから安定したペースが保たれる.しかし,ある選手がペースを上げた時には,他の選手はその選手が無理をしてペースを上げたのか,それとも調子がいいので早めに勝負に出たのかを冷静に判断しなければならない.

 

選手はその時点で自分のその時の調子や疲労の程度とフイニッシュまでの残り距離を考え,追走すべきか,それとも集団内にとどまるべきかを瞬時に判断しなければならない.この決断は順位や記録を大きく左右する.

 

マラソンレースで形成される集団や選手間には①競争と共存②心理的満足と不満③物理的影響④同期現象による受動的ペース変動等の性質がある.

 

  • 競争と共存:選手が同じ目的で同じコースを走っているという意識(相互の励ましや集中力の高まりなど)は協同作業効果を生む.例えば,数人で1,500mのタイムを競う時は単独で走るよりも2~3%記録が良い.これは相手の足音や息遣いを聞くことによって心理的に刺激を受け,集中力が高まるためである.

 

  • 心理的満足と不満:ペースメーカーがいるレースでは先頭集団のすべての選手が満足するペースとは限らない.最初少しペースが遅く感じても徐々にそのスピードに慣れて意識しなくなる.この現象が不認知の満足現象である.逆に,ペースが遅過ぎて不満が募り,ペースアップして集団から離れる行為を不満生産性の法則と呼び,不満をエネルギーに変換した行動である.

 

 

  • 物理的影響と同期現象:物理的影響の1つがドラフティングである.これまで多くの研究者によってランニング中の空気抵抗と記録との関係が研究されてきたが,その多くは進行方向からの空気抵抗の影響を調べたものである.例え無風状態でレースが行われても,実際に選手が受ける空気抵抗は集団の位置や風向によって変動する.

 

一般に,マラソンの先頭を走る選手が受けるロスタイムは計算上では約4~5分になる.キプチョゲ(ケニア)が2017年と2019年の2回風よけのためパートナーの協力を得ながら“マラソン2時間切り”に挑戦している.その2回の挑戦に最も近いキプチョゲの記録(ベルリンマラソン)と比較すると,その差は 3分07秒と1分59秒となる.この差からマラソン走行中の風の影響は約2~3分と言える.

 

  • 同期現象と受動的ペース変動:風を遮るために前の選手を楯にしてその後方を走ることも重要である.しかし,選手の後方を走ることは前方の選手をたえず見ることになり,無意識的に前方の選手のリズムに引き込まれてしまうことがある(同期現象).

 

また,集団の中で走る際には周囲の選手と手や足が接触しないように、一定の距離を保たなければならない(真後ろの場合にはほぼ身長の長さ).しかし,一定の距離を保っても小さなスピードの変動がある.その変動は集団の後方に位置する選手ほど大きくなり,集団の前方に位置する場合に比べスピードの変動幅が大きくなる.

 

従って,集団の中での位置は先頭から2~3列目で前方が見えることが望ましい.

勝ちたいという“意欲”,勝てるという“自信”,勝って見せるという“情熱”が醸成できる集団が理想である.

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山地 啓司

1965年卒 立正大学法制研究所特別研究員 
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