東京五輪「1年延期」手順・方法に疑問

政治介入の歴史とJOC排除の問題点

1970年卒  岡野 進

世界的に広がる新型コロナウイルスの影響で、2020東京五輪の開催が危ぶまれようとしたとき、突如「バッハIOC会長と安倍首相との電話会談で、1年延期が決まった」との報道がなされた。これを聞いて、まず驚いたのはあまりにも電撃的であったということもあるが、それよりもどうして(オリンピックの主催・運営に直接関係のない)安倍首相が出てきたのか?

またどうして山下泰裕IOC会長が出てこなかったのかという疑問と同時に、あの「1980年のモスクワ五輪のボイコット(政治の介入)問題」を思い出した。

 

山下JOC会長は、3月24日に首相官邸で行われた電話会談の席(安倍晋三首相、元首相の森喜朗組織委会長、小池百合子都知事、橋本聖子五輪担当相、菅義偉官房長官)にも加わっていなかったし、テレビのインタビューでは「1年延期の内容はテレビで知り、翌25日に組織委員会事務局から連絡があった」と話していた。東京都とともにIOCと東京五輪の開催都市契約を結んだ当事者(当時は竹田恒和JOC会長)のはずが、今回の決定については、JOC(山下会長)は完全に蚊帳の外に置かれていた。

IOCのバッハ会長との電話会議には安倍総理ら政治家ばかり

 

毎日新聞(2020年4月1日付)によると、1年延期と決ったのであれば、夏の酷暑を避ける「春開催」の可能性もあったなか、「アスリートファースト(選手第一)で考えれば、暑すぎずにプレーしやすい春は理想的だ。しかし、選手側の立場に立つはずのJOCは一向にうごかなかった」と報じられた。

 

ところで、今回のオリンピック「1年延期の決定」であるが、これは明らかにIOCの勇み足であり、「憲章(第23条)」の規定に違反している。つまり、「オリンピック競技大会は、そのオリンピアードの最初の年に開催しなければならない。オリンピック競技大会は、いかなる事情のもとでも、ほかの年に繰り延べることはできない。一つのオリンピアードの最初の年に開催しないときはそのオリンピアードは取り消しとなり、その選定された都市は開催都市として権利をうしなう。この開催都市の権利をつぎのオリンピアードへ繰り越すことは認められない。」(筆者傍線)とされているからである。よってこの規定に沿うなら、今回の「1年延期」はあり得ないことであった。

ではどうして、バッハIOC会長は安倍首相の申し入れ(の会談)で「2020東京五輪の1年延期」を(憲章違反をしてまで)急いで決定したのであろうか?

これは大変に大きな問題であり、疑問である。少なくともIOCのバッハ会長はこの違反について、しっかりと説明しなければならない。そもそも安倍首相はこの規定を知っていたのであろうか?

手順としてはおかしいのだが、IOCは2020五輪の1年延期を了承した以上、早急に「憲章(第23条)」を改定する必要があるのだ。

「オリンピック憲章」に掲げられているオリンピックの理念は、「平和運動」、「人権尊重(無差別の原理)」、「民主主義」である。この民主主義に関しては、オリンピック憲章では「各国オリンピック委員会(NOC)の自主独立を尊重する」とあり、「IOCが承認する各国オリンピック委員会(NOC)は、どのような圧力も、それが政治的、経済的、宗教的なものであるとを問わず、すべてしりぞけなければならない。」(「憲章」24条C)(傍線は筆者)とされている。

これまでのJOCは、オリンピックの東京招致案を承認してIOCに申し込み、東京招致活動に尽力して東京開催を成し遂げ、大会組織委員会(森喜朗会長)の委任や各競技団体と連携して日本選手の強化を図ってきた。そしていよいよ2020東京大会に向けて日本選手団を派遣することになるが、言うまでもなくその母体はJOCである。国・政府や都、組織委員会が派遣するわけではないのだ。

オリンピックに向けてのJOCのこのような活動は、IOCから認められた権限によるもので、2020東京五輪の実施についてはJOCの要望を大いに発信すべきであると考えるし、当然ながらそれは可能なのだ。言うまでもなくオリンピック開催の主催者はあくまでもIOCで、JOCはIOCが承認した国内唯一の団体なのである。

 

ところで、オリンピックへの参加・不参加をめぐって、政府(政治)がIOC・NOCに圧力をかけたということで大きな問題となったのが、1980年のモスクワ大会だった。
ここで、モスクワ五輪における米国(USOC)・日本(JOC)など西側諸国の不参加(ボイコット=政治の圧力に屈したNOC)の経緯について思い起こしてみたい。

モスクワ五輪は西側諸国がボイコット

 

1980年5月24日、日本オリンピック委員会(JOC)は「(旧)ソビエトがアフガニスタンに侵攻している状況のなかで、7月に開催されるモスクワ五輪に参加するのは望ましくない」とする政府(大平内閣)の強い要求(脅し?)に屈して、オリンピック不参加を決定した。この政府の決定は、アメリカ政府の強い要望に応じたものであった。

1979年12月27日、(旧)ソビエト連邦(ソ連)はアフガニスタンの民族自決権を武力で抑えるため、アフガニスタンへの侵攻を開始した。これに対して翌年1月、アメリカのカーター大統領は、即座にソ連への制裁として穀物や科学機器の輸出取りやめを決定した。さらに、“オリンピックの原則を無視”してアメリカ・オリンピック委員会(USOC)への相談もなく、「ソビエト軍が1カ月以内にアフガニスタンから撤退しない限り、アメリカ選手団はモスクワ五輪に参加すべきではない」と勧告。同時に、西側同盟国に同調を求めた。

1980年2月12日、レークプラシッド冬季五輪の開会を前に開かれたIOC総会の開会式には大統領代理でバンクス国務長官が出席し、モスクワ五輪の中止か延期を求める演説を行った。しかし、IOCは予定通りのモスクワ五輪開催を全会一致で決定し、アメリカ政府の目論みをはねのけた。立派というか、当たり前のことだった。

しかし、あくまでもボイコット強行を目論むアメリカ政府は、USOCに対して「もし参加するなら、政府の補助金を与えず、また軍人選手や公務員選手の参加を禁止する。それでも参加するというなら、パスポートを発行しない」と脅したのであった。

一方のJOCは、常任委員会で「原則として参加する」ことを申し合わせていたが、日本政府が4月25日、アメリカ政府の見解をそっくりまねて「もしJOCがオリンピックに参加しようというなら、政府の補助金も止めるし、自衛隊や公務員などの選手の参加を禁止する」と発表したことで態度を一変。先に述べた5月24日、JOC臨時総会で「参加すべし13票、不参加とすべし29票」の採決結果をもって、モスクワ五輪への不参加(ボイコット)を決めたのである。

しかしながらイギリスは、議会がオリンピックのボイコットを決議したにもかかわらず、イギリス・オリンピック委員会は毅然としてNOCの自主的立場を貫き、モスクワ五輪への参加を決定した。イタリア、フランスなども同様の立場を貫き、オリンピック参加を決定したのである。結局は、66カ国がボイコット(不参加)することになり、モスクワ大会は7月19日~8月3日、81カ国、参加選手5217名で開催されたのである。

モスクワ五輪閉会式で涙を流す「ミーシャ」

 

モスクワ五輪におけるボイコットは、オリンピックへの政治介入を許す契機となったが、同時に参加を取りやめた国のNOCとっては、自らの権威失墜を認める結果になった。また、忘れてはならないのは、モスクワを目指して厳しいトレーニングを重ねてきた多くのアスリートたちが涙を流したことである。オリンピックを政治利用したことが「人権の尊重」という五輪の理念を踏みにじる結果になったのである。

金メダル候補の瀬古利彦は「幻の代表」に

 

1984年、旧ソ連をはじめとする東側諸国(ルーマニア、ユーゴスラビアを除く)は、モスクワ五輪に対する報復措置として「ロサンゼルスでは安全が保障されない」との理由でロサンゼルス五輪をボイコット。大会は7月28日~8月12日、140カ国・地域、参加選手6797名で行われた。

このように、モスクワとロサンゼルスのオリンピック2大会は残念な「片肺飛行」となり、政治の介入を許した近代オリンピック史上の汚点として記録に残った。

 

1年後の来年夏に延期された2020東京五輪だが、新型コロナウイルスが収束しない限り開催できるという保証はないので、「再延期」か「中止」が浮上してくることになる。そうなった場合、JOCは各競技団体や選手側の立場から、明確な提言ができるようにしっかりと議論を重ね、意見を集約・決定しておく必要があろう。

最後に、「JOCは(日本体育協会から)独立してから国からの自立を掲げたが、現実は強化費の確保のために国への依存度が年々高まっている。JOC関係者は“ボイコット当時同様、スポーツ界の意見は蚊帳の外だった。この40年間、私たちは何をやってきたのか”とむなしそうに語った。」(「前掲毎日新聞」)そうだが、筆者も同感である。―2020年4月7日・記

 

モスクワ五輪のマラソンを制したチールピンスキー

ロサンゼルス五輪4冠のカール・ルイス

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