陸上競技のルーツをさぐる37

「走幅跳」の歴史<そのⅢ>

「近代以降の「重り」を持った立幅跳や走幅跳の様子

助走をしない立幅跳や助走付の走幅跳での前方への跳躍は、近代に入ってもプロフェッショナルの選手たちによる見せ物、あるいはハンディキャップ付きの賭け事の対象として行われてきた歴史があります。

1976年にK・ドーティー博士が著した『Track and Field Omnibook(陸上競技総覧)』には、19世紀初頭以降でもプロフェッショナルによる短距離競走や跳躍種目で「記録を出させるための手段」として5ポンド(2.2kg)のダンベルを持って競技が行われていたことが紹介されています。

同博士やR・Quercetani氏の著書『A World History of Track and Field Athletics 1864-1964』によれば、1854年5月8日に英国のチェスターの街で、J・ハワードというプロ選手が5ポンドのダンベルを持って長さ2フィート(約61cm)厚さ3インチ(約7.5cm)の踏切板を使って走幅跳を行い、29フィート7インチ(8m99)を跳んだことが紹介されています。

この記録は、1991年にM・パウエル選手(米国)が世界選手権東京大会で樹立した8m95の現在の世界記録をも上回ります。1920年代にも英国のG・ロードン選手がこの種の「重り」を持って跳躍して「8フィート(2m43)は自己記録がよくなった」と述べています。1850~60年当時の英国一流アマチュア選手の記録が20フィート5インチ(6m20)であったことを考えると、十分に説得力のある説明です。

19世紀に入っても、立幅跳がこの種の「重り」を持って行われていたことがドーティー博士の著書にも見えます。『自分が米国ミシガン大のS・ファレル・ヘッドコーチの下で十種競技の練習をしている時、コーチは「重り」を持ってプロとしての11フィート(3m34)の記録を樹立した』と紹介しています。

 

「走幅跳」競技化・規則作成の過程

英国では1850年代に入ると、野外のクロスカントリーレースが校内でトラックを周回する形式の競技会へ移っていきまました。この経過については以前に述べましたが、トラックの白線に「石灰」を使うようになるまでは、コース分けには杭を打ってロープを張っていたのです。

直線やトラック半周などの距離を走る短距離競走も人気が高まり、多くの観衆を集めるようになっていきました。教会の祝祭日に行われる祭りや市などでは「民族競技」の力やわざ比べが人気を博しました。そこでは跳躍種目や投てき種目がトラック内外の砂場(pit)や投てき場で実施され、競走種目に劣らない注目を集めました。

走幅跳はこうした流れから導入された種目のひとつですが、一方では軍隊などで青少年男子の身体訓練の一環として行われていたものを競技会に導入した一面もあります。前者を証明する例としては、筆者がかつて資料収集の目的で訪れた英国中部ショロップ州シューズベリーという田舎町で入手した新聞です。

1851年10月30日発行のその新聞によると、町の医師で教師でもあったW・ブルックス博士が中心となって開催した「オリンピック・ゲーム」で走幅跳(Leaping in Distance)が実施され、地元のJ・ブライトが15フィート10インチ(4m81)で優勝、5シリングの賞金を得ています。

この大会については、19世紀後半に渡英した若き日のP・クーベルタン男爵が現地を視察。古代オリンピア競技復活を目指すブルックス博士の熱意に心を動かされ、19世紀末になって近代五輪開催に奔走・尽力したことは余りにも有名です。

 

1851年には英国の「オックスフォード大」エクスター校の夏季陸上競技大会のプログラムには「Long Jump」と記載されています。1860年の「オ大」が「定期学内陸上競技大会(Grand Annual Games)」開催のために作成した「大会設立趣意書」の中に、走幅跳を導入したことが記されており、これを裏付けています。

後者の例としては、以前に跳躍の項で触れた『男性の訓練(Manly Exercises)』(1839年ロンドン発行)に、青年の身体訓練の一環として走幅跳の競技方法や練習法が詳しく記述されていることが指摘できます。この時期には陸軍士官学校をはじめ各種の学校で行われる陸上競技会のプログラムには、ほとんどといっても良いほど走幅跳が組み入れられています。

写真図版の説明と出典

  • ①「初期の競技会における走幅跳の様子のエッチング」
    『Athletics and Football (The Badminton Library-Sports and Pastimes-)初版』(1887) p163  M・Shearman (Longmans, Green, and Co,)
  • ②「1864年、オ大クライスト・チャーチ・グランドでのオ大対ケ大対校戦第1回大会で走幅跳が行われた戦績が見られる」
    『Oxford Versus Cambridge. A Record of Inter-Varsity Contests 1827~1930』(1931)p2 H・M・Abrahams and  F・B・Kerr編(Faber and Faber, London)
  • ③「1880年第1回全英選手権大会(AAA)を開催するために決められた16条ルールに走幅跳の項が見られる」
    『The Official Centenary History of the AAA(英国陸連100年記念誌)』(1979)
    p33 P・Lovesey著 (Guinnss Superlatives Led)

 

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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