陸上競技のルーツをさぐる43

「三段跳」の歴史<そのⅡ>

「三段跳」の発生と発展

小川や障害物を跳び越す生活上の必要から生まれた「走幅跳」は、古くから距離を競う跳躍種目の主流でした。

一方で、脚力や跳躍力の強さを誇示する連続的な跳躍種目も世界各地の民族競技として広く行われてきました。

しかし、現在の「hop step jump」の形式で行う「三段跳」は、19世紀末から20世紀にかけて定着してきた競技で、さほど古いものではありません。

 

古代ギリシアの競技で、紀元前664年にスパルタのキオニスが「走幅跳」で52フィート(15m80)を跳んだとか、クロートンのファユルロス「ピュテイアの祭典競技」で55フィート(16m72)を跳んだとの記録が残っていますが、これらは現代の「走幅跳」世界記録から見て考えられない記録。

古代史学者たちは「三段跳を含む連続跳びの記録か、距離の単位が今日とは異なっていたのではないか」と推測しています。

距離の単位に誤りがないとすれば、当時すでに「連続跳びの競技」があったものと考えられます。

 

1975年に発刊されたスポーツ辞典『The Oxford Companion to Sports and Games』によれば、『今日の「三段跳」の原形は、1820年頃スコットランドなどで行われていた「石蹴り遊び(hopscotch)が起源ではないか』と述べています。

今日の「三段跳」の形式になるまでは、「右・右・右」、または「左・左・左」と同じ足を3回使う、いわゆる『ケンケン跳び』の形式も行われた。「右・左・左」、とか「左・右・右」と跳ぶ「hop hop jump」の形式、「2回のjump(「右・左」または「左・右」)」、あるいは「右・左・右」または、「左・右・左」もあった。

歩行や走行と同じ足の運びとなる「3回連続ジャンプ」も。「10回連続ジャンプ」は「助走つき」または「助走なし」(例えば「立三段跳」など)の形で、アイルランドの民族競技やドイツの諸学校の体育訓練として行われていました。

 

プロ選手による「三段跳」の記録の数々

近代に入ってからの「三段跳」に関する記録は18世紀に入ってから。

1784年にはイングランドで居酒屋の主人ハウンズレーがイスリントンのクリケット場で43フィート6インチ(13m22)を跳び、豚の仲買人ペックに4インチ(10㎝)勝ったとあります。

「三段跳」がしばしば行われていたスコットランド低湿地帯のロウランドで、1797年にレ・ショーが41フィート(12m46)を跳んだ記録が残っています。

1829年セント・ロナンの競技会では45フィート4インチ(13m82)が記録されており、36年には有名な詩人のレイダンが46フィート6インチ(14m13)を跳んだとか、64年にはイングランドとスコットランドの国境の町に住むベル青年が47フィート6インチ(14m44)を跳んだ記録も残っています。

82年にはランカシャーのバロウズが「2回のhopと1回のjump」で49フィート6インチ(15m05)を跳んだ記録が残っています。

一方、米国でも84年にサリバンが250ドルを賭けたマサチューセッツ州のウールセスターで今日と同じ「hop step jump」の形式で行う「三段跳」の試合で48フィート8インチ(14m79)を跳びました。

93年には最後の「プロ選手」であったハーウイックのホッグが、アイルランド出身の若者の挑戦を受け、49フィート9インチ(15m12)を跳んで観衆を驚かせたと言われています。

19世紀に英米両国の競技会に出場していたこれら選手の大半は当時、「プロフェッショナル」と呼ばれて各地の興行で跳躍力の凄さを見世物にしていた選手でした。

 

「アマチュア選手」による「三段跳」

19世紀の英国では、サッカーやラグビーが盛んになってプロのリーグ戦が行われるようになりました。

それに対し、賭けの対象となる「プロの陸上競技の選手」の試合は「いつも勝つ者が決まっている」ことが多く、次第に人気がなくなっていきました。

それに代わって『だれが勝つかわからない』アマチュア選手による陸上競技に人気が出始め、「三段跳」もこうしたアマチュアたちの大会に導入されていったのです。

 

当時のアマチュア「三段跳」の選手で最も強かったのは、アイルランドのシャナハンで、1888年には「hop step jump」の形式で51フィートIインチ(=15m53)を跳んだといわれていますが、当時は「hop hop jump」と「hop step jump」のどちらの方法で跳んでもよかったのです。

ところが、先に弱い方の脚で1回跳び、強い方の脚を2回使う「hop hop jump」形式の「三段跳」よりも、先に強い方の脚で2回跳んで最後に逆の脚を使う方が記録の良くなることが分かり、次第に今日の「hop step jump」の形式が定着していくことになったと思われます。

以下次号

写真図版の説明と出典

「伝統ある英国の三段跳で、1995年の世界選手権で18M台を連発した、J・エドワーズ選手の雄姿」『アトランタ・オリンピック観戦ガイド(アサヒグラフ増刊号)』(1996) p31 朝日新聞編

The following two tabs change content below.
岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
プロフィール詳細
岡尾 惠市

最新記事 by 岡尾 惠市 (全て見る)