陸上競技のルーツをさぐる42

「三段跳」の歴史<そのⅠ>

世界各地にある「連続跳躍」

「三段跳」は、左・左・右または、右・右・左足を使った3回の連続跳躍の距離を競う跳躍競技の一つです。

最も単純な1回の跳躍でどれだけ前方に跳ぶことが出来るかを競う「走幅跳」が古くから競技化され、古代オリンピア競技で実施されていたのは当然でしたが、それ以外の跳躍種目が登場してくるまでには長い時間が必要でした。

前方への跳躍種目「三段跳」が確立する以前、世界各地には様々な形の「連続跳躍」が行われていましたが、今日行われている「3回連続の跳躍(三段跳)」だけが正式種目として採用された経緯は明らかではありません。これまでの「三段跳」の歩みをたどりながら、この問題を探ります。

「三段跳」は古くからイングランド・アイルランド・スコットランドなど英国各地で、青年たちの能力を試す民族の競技として盛んに行われていました。

その呼び名も英語が中心で、跳び方によって「hop skip jump」とか「hop hop jump」や「hop step jump」などと呼ばれてきました。しかし、近年の「国際陸連」規則書では、この種目が「3回の連続跳躍」であることに力点を置き、英語で「triple jump」としています。

織田幹雄氏が『三段跳』と命名

英国などでこの種目が競技化されていた影響を受けたのか、わが国では1874(明治7)年3月21日の海軍兵学寮運動会で、英国の海軍武官らから指導を受けています。

当時はこの種目を「玉兎躍月(うさぎのつきみ)」と名付け、競技方法については「三飛毎に立つ事」と説明しています。

 

翌年の75年、菊池大麓博士に連れられて東京英語学校(後の東京大学予備門)と第一高等中学校の英語教師として来日した英国人のF・ストレンジ先生が、語学教育の傍ら陸上競技の普及発展に尽力します。

83年に丸善洋書店から発行した著書『Outdoor Games』ではこの種目を「hop step and jump」と呼び、競技方法についての説明を加えています。

「三段跳」は「走幅跳」や「走高跳」などと比べて身体への衝撃が大きく、技術的にも難しいため、明治期のわが国ではあまり行われた形跡はなく、定着するのは1910年代(大正期)に入ってからでした。

20年アントワープ五輪の十種競技に出場した後、指導者としてわが国陸上競技界を牽引した野口源三郎氏(東京高師OB)が長野県の松本中学に赴任した際、同地域の「連合運動会」で「ホ・ス・ジャンプ」の名称で実施されたことが契機となって、東京を中心とする各種大会でも行われるようになります。

 

わが国の陸上競技規則は、数度の五輪大会、極東大会の参加を経験する中で整備され、朝日新聞社の編集で18(大正7)年に『競走・跳・拠競技規則』が発刊されました。

その中で「走幅跳(=ランニング・ブロード・ジャンプ)」と「走高跳(=ハイ・ジャンプ)」は、漢字表記の種目名と国際呼称のカタカナ表記が併記されていましたが、「三段跳」は「ホップ・ステップ・ジャンプ」と英語のカナ読みが種目名になっています。この種目の日本語表記が難しかったためと思われます。

27(昭和2)年になると、早稲田大学の学生だった織田幹雄氏が『三段跳』と命名しました。

織田氏は後の著書『わが陸上人生』で、「それまでは『ホ・ス・ジャンプ』なんて妙な縮め方をされることもあった。

学生大会のプログラムを作るときに、どの国でもこの跳び方の名前の頭に「三」の文字がついていた。

だから私も「三」をつけた方がいいと思い、『三回跳び』か『三段跳び』はどうかと関東学連の役員会に提案したら、みんな『三段跳び』なら段で前へ進むということになり、この方がいいと言って使いはじめたのです」と命名当時の裏話を述べておられます。

 

この「三段跳び」という名称が実際に使われたのは、同年10月の関東インカレのプログラムからでしたが、この時は、「三段飛び」と書かれていました。

その1年後には「三段跳び」の表記が普及し、新聞紙面でも普及・定着していきます。

織田氏は翌年の28年「アムステルダム五輪」で、自ら命名した「三段跳」で日本人として初の「五輪金メダル」を獲得する金字塔を打ち立てます。

 

写真図版の説明と出典

① 「スコットランドの民族競技として」の「三段跳」の様子『Scottish Highland Games』(1959) p90 D・Webster著、J・Gardiner絵(Collins: Glasgow & London)

② 「1928年アムステルダム五輪の三段跳で日本人初の金メダルを獲得した、命名者の織田幹雄選手の跳躍」『陸上競技寫眞集』(1934)p210 陸上競技研究會編 (一成社)

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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