陸上競技のルーツをさぐる39

「走幅跳」の歴史<そのⅤ>

「近代五輪」開催以降、20世紀の「走幅跳」の様子と記録の飛躍的向上

1896年4月6日に開幕した第1回「アテネ五輪」では、古代ギリシャ競技の中で行われ、19世紀末の欧米でも実施されていた走り幅跳びは、当然のことながら競技種目に採用されました。これを契機に記録は国際的に集計、公表されるようになりました。

 

しかし、「アテネ五輪」の優勝記録は、試技が3回に限られていたこともあり、E・クラーク(米国)の6m35という低レベルのものでした。続く1900年「パリ五輪」で60m、110mH、200mHにも優勝したA・クレンツレーン(米国)が、前回の記録を大幅に更新する7m185を跳び、4個目の金メダルを獲得しました。これも3回の試技によるものだと報告されています。

驚くべき記録が生まれたのは1901年8月。アイルランドのP・オコーナーが地元ダブリンの大会で、その後20年間破られることがなかった7m61の驚異的な世界記録を樹立しました。しかし、五輪での金メダルとは縁遠く、1904年の「セントルイス大会」には不参加。06年の「アテネ記念大会」では三段跳には優勝したものの、走り幅跳びでは7m02の記録で2位となり、まもなく第一線から引退しました。

五輪ではその後、04年の「セントルイス大会」から12年の「ストックホルム大会」までは、従来、英国で行っていた、<出場全選手に3回の試技を行い、ベスト3名に限りあと3回の試技をさせて決定する>方法をとって、4位以下は3回目までの記録で順位が決定されました。

 

21年7月の大会ではE・ゴーディン(米・ハーバード大)が25フィート3インチ(7m69)を跳び、初めて25フィート(7m62)の壁を突破。24年「パリ五輪」でも2位入賞を果たしました。これ以降、この種目ではアフリカ系米国選手たちが続々と世界記録を更新していきました。

 

25年6月には、「パリ五輪」で優勝したW・ハート・ハッパード(米・ミシガン大)は、さらに世界記録を7m89に更新します。米国勢は「五輪大会」では圧倒的に強く、有名なJ・オーエンス(米・オハイオ大)ら諸選手が、64年「東京大会」でG・デービス(英国)に敗れるまで、8大会すべて金メダル独占の偉業を成し遂げました。

 

走幅跳の競技方法は、特に五輪では時代状況に合わせて手直しがされ、24年「パリ大会」以後は、予選記録を越えた者が決勝に進出する方法が採用されました。28年の「アムステルダム大会」では、予選3回の試技が、決勝の3回より良い場合には予選記録であっても認められました。決勝進出者6名は合計9回の試技の中で最高の記録で順位が判定されることもあり得ました。

この間、「ロス五輪」前年の1931(昭和6)年10月27日に南部忠平(早稲田大OB・美津濃)が、東京明治神宮競技場で7m98の世界記録を樹立する偉業を成し遂げました。

M・パウエル(米国)は、36年の「ベルリン大会」で100m、200m、4×100mRでも金メダルを獲得したJ・オーエンス(米国)は、その前年の1935年5月に人類初の8m越え、8m13の大ジャンプをしたことは有名です。しかし、この偉大な記録も1960年にR・ボストン(米国)によって8m21に書き替えられました。この後、「挟み跳」のT・オバネシアン(旧ソ連)に8m31と記録を塗り替えられた時期もありましたが、ボストンは計6回世界記録を更新。最後の世界記録(8m35)は2年後の67年にオバネシアンに並ばれることになります。

前人未到の大記録が生まれたのが68年、高地で開催された「メキシコ五輪」でした。B・ビーモン(米)が世界記録を55cmも更新する8m90という大記録を樹立しました。「もうこれ以上の記録は無理、限界だ!」と言われていたにもかかわらず、23年後の91年8月30日、東京国立競技場でM・パウエル(米国)が夢の9mへあと5cmに迫る8m95の大記録を樹立しました。「記録は破られるためにある!」という確信を私たちに植え付けてくれる一方、この記録は21世紀に入っても破られることなく燦然と輝いています。

以下次号

 

写真図版の説明と出典

  1. 「1900年のパリ五輪で4種目優勝を成し遂げたP・クレンツレーン(米)は、この年、ロンドンでの全英選手権にも出場して6m96の記録で優勝。」
    『The Official Centenary History of the AAA(英国陸連100年記念誌)』(1979)
    p.50 P・Lovesey著(Guinnss Superlatives Led)
  2. 「以後の20年間破られなかった7m61の当時の世界記録を樹立したP・オコーナー(アイルランド)の跳躍」『同上書』p.53
  3. 「1931年、明治神宮陸上競技場で7m98の世界記録を樹立した南部忠平の跳躍の様子」
    『雑誌「陸上競技(第8巻第1号)」』(1930年新年号)写真頁 陸上競技研究会編輯(一成社)
  4. 「1936年のベルリン五輪で4種目優勝を成し遂げたJ・オーエンス(米)の跳躍」
    『Das grosse Buch der Olympichen Spiele』(1995)p.186 Chistian Zenter著(Copress Sport)
  5. 「1968年のメキシコ五輪で、空中に舞い上がる様な跳躍を見せるB・ビーモン(米)の跳躍」
    『アサヒグラフ増刊<メキシコ・オリンピック>』(1968)p.17 (朝日新聞社)
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岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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