陸上競技のルーツをさぐる33

棒高跳の歴史<そのⅡ>

紀元前の時代の棒高跳

1967年刊の『棒高跳の力学』の著者、R・ガンスレン博士は「英国の古いレンスターの本には、少なくとも紀元前1829年から紀元554年までの2000年以上にわたってアイルランド北東部にあるミース州タリチで行われた“ティルティンのゲーム”には、陸上競技5種目のひとつとして棒高跳が行われていたとの記述がある」と述べています。

このことから、技術的には棒幅跳より数段難しいと思われる棒高跳がアイルランドやスコットランド地方では民衆の間で古くから行われていたことが分かります。

前回の「棒高跳Ⅰ」でも触れたように、古代ギリシアの競技種目には棒高跳が行われていたという証拠はほとんど残されていません。しかし、大英博物館等に展示されている古代競技の様子を示した絵壺には、竿や棒を持って走る競技者が描かれています。

これについて、古代史学者のN・ガーディナー博士は「これらの竿や棒は、尖端の尖っていない単なる練習用のヤリである。棒やヤリは、馬に跳び乗る時に使われたが、われわれの知る限りでは陸上競技に使われた形跡はない・・・ギリシアは塀や垣根のない国で、主な障害物は川や溝であった・・・」<前回の図版参照>と述べています。

こうしたことから、古代ギリシアの競技には棒高跳は行われていなかったというのが定説になっています。棒を使って高所を跳び越す動作は、大変難しかったことと、その必要性が薄かったのでしょう。

体育の練習課題としての棒高跳

棒高跳が近代陸上競技の種目として採用されるまでには、民衆スポーツの系譜の中で18世紀末から19世紀初頭にかけ、ドイツの体育指導者たちが若者の身体訓練として実施させていたことを忘れてはなりません。

ドイツのJ・パセドウ(1723~90)は、1774年に刊行した『A Book of Methods』という著書で、彼の主張する「自然主義体育」の一環として「棒を使っての跳躍(leaping with a pole)」を推奨しています。しかし、青少年の体育の手段として本格的に取り入れたのは「近代体育の父」といわれるJ・グーツ・ムーツ(1759~1839)でした。1793年に刊行した『青少年の体育(Gymnastics for the Young)』には、棒高跳のために1章を設けて図解入りで解説をしています。

当時の棒は大変重く、助走は短くゆっくりしたものでした。棒の握りは両手の間隔を広く取り、空中のスイング動作はあまり行わなかったようです。そのために跳躍できる高さには限界があり、頭上2~3フィート(60~90cm)の高さ、2m50前後を越えるのがやっとだったようです。

同じドイツの体育指導者のF・ヤーン(1778~1852)は、1810年代に棒幅跳で堀を、棒高跳では縄を張って跳ばせたことを記述しています。

一方、英国では19世紀中葉になると、民衆のスポーツとして定着していた流れを受け継いで、各地のパブリックスクールで陸上競技種目に棒高跳が採用され始めました。

1855年にH・ウォルッシュが編者となって出版した『英国の田園スポーツ(British Rural Sports)』のなかで、モミの木や竹の棒を使ってこの種目が行われていた様子が述べられています。

しかし、1864年3月5日にオックスフォード大クライストチャーチのクリケット場で行われた「第1回オックスフォード大対ケンブリッジ大2大学対校戦」では棒高跳は実施されていません。

2年後の66年3月23日にビュフォートハウス競技場で行われた「第1回アマチュア選手権」では棒高跳びが採用されています。大会の企画・運営で中心的役割を果たしたケンブリッジ大出身のJ・G・チャンバース氏の提唱でした。この大会では、ロンドンの「シティA.C」J・ホイラーが10フィート(3m04)を跳んで優勝し、近代陸上競技における棒高跳の幕開けを飾りました。

黎明期の棒高跳の状況と記録

英国の諸学校の大会で盛んに行われていた棒高跳でしたが、米国では1867年にニューヨークで開催されたスコットランド移民たちを中心とした「カレドニアの競技会」に初めて採用されました。この大会で優勝したカナダ人のラッセルが跳んだ9フィート3インチ(2m81)が、残っている最初の記録です。

英国では1866年の「第1回アマチュア選手権」以後、バーのクリアランス技術が改良され、折れにくい材質のポールが使われるなどの工夫がされていきます。当初は2m50台であった優勝記録が、68年の「第3回大会」ではミッチェルが3m21に更新。堀や運河が多く、棒幅跳を生活の中に取り込んでいる北部アルバスターン地方のE・ウッドバーン(クリケット・クラブ員)が、74年に3m22をクリアしました。

アルバスターン地方の若者たちはこれ以降、伝統を受け継いで棒高跳の練習を熱心に行い、続々と選手権保持者を生み出していきます。

以下次号

写真図版の説明と出典

  • ① 「体育運動種目としてバーを掛けて行う棒高跳の練習の様子」
    『Walker’s Manly Exercises 第6版』(1859)p51 Craven著(Wm’ S. Orr
    Co. Amen Corner Paternoster Row. London)
  • ② 「1864年のケンブリッジ大における棒高跳の様子」
    『The Official Centenary History of Amateur Athletic Association(英国陸連100年記念誌)』(1979)p20~21 Peter Lovesey著(Guinness Superlatives Ltd)
  • ③「1869年大会での棒高跳の様子」
    『A World History of Track and Field Athletics 1864~1964』(1964)p230
    Roverto Querecetani著 (Oxford University Press)
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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