陸上競技のルーツをさぐる32

棒高跳の歴史<そのⅠ>

「vault」の意味

国際陸連の規則書(英語版)では、「棒高跳」のことを「Pole Vault」と表現しています。陸上競技の指導書などでは「Pole Vaulting」や「Pole  Jumping」のほか「Pole Jump」等が使われていることがあります。「vault」とは、ラテン語やフランス語系の「voute」や「vollte」あるいは中世英語の「vault」に由来する言葉です。筒形やドーム形の天井を意味する名詞と、馬に跳び乗ることや、棒や手を支えにして「跳ぶ」「跳躍する」ことを意味する動詞でした。

その後、この動詞の意味から「手を支えにして馬に跳び乗り、跳び降りる」とか、「棒を使って門や塀・土手等を跳び越し、小川や運河等の川幅を跳ぶ」という意味となり、さらに転じて競技としての「棒高跳」を表す用語となったと考えられます。

 

この競技が初めて日本に入ってきた明治初期には、「竿飛」「棒飛び」「竿飛」等と呼ばれ、20世紀に入ると「棒高跳」の名称が一般に使われるようになりました。

棒を使った跳躍の歴史

獲物を追って生活していた太古の人類は、それほど幅の広くない小川や溝、濠などを渡って対岸にたどり着きたい場合には、自分の脚力で飛び越すか、棒などを支えにして渡ることで乗り切ってきたでしょう。

 

自分の身長よりずっと高い木に登ったり、前方に立ちふさがる土手や城壁、塀を乗り越えたい場合には綱や縄、ひもを引っかけて登ったり、はしごを掛けたり堅い木や竹材などを加工した道具を支えにして登る。あるいは、この棒を持って走って勢いをつけ高所へ跳び上がる。そういう行動があったと考えられます。

 

こうした竿や棒等の道具を利用しての跳躍動作は、技術的な難易度が高く、実用性の観点からも上方への運動は前方への運動よりもずっと少なかったはずです。生活の中でも、前方への距離を得ることを目的とする「棒幅跳(Pole Leaping)」の方がより多く行われてきたものと考えられます。

 

「棒幅跳」の歴史

産業革命期までの16~17世紀、英国北海沿岸の湿地帯やケンブリッジシャー、ハンチントンシャー、リンカンシャー、ノフォークシャー等の平地では、防壁を飛び越える遊びが広く行われていました。さらに、運河・小川・溝・濠等の障害物を跳び越す実用術として、この「棒幅跳」が頻繁に用いられていました。

特に北方の湿地や沼地には、湿地からの湧き水を集めて外海に流すための小運河が数多く存在しました。運河の対岸に渡るには橋を架けるか、小舟に乗るかということになりますが、橋と橋の中間地点に住む人びとの中には、家の軒下に船竿を準備し、いざというときには棒幅跳の要領で対岸に渡るものがありました。

 

これらの技を競技化したものが「棒幅跳」です。19世紀の前半までのスコットランドやアイルランドでは、この競技が陸上競技種目の一つとして必ず実施されていた記録が残っています。かつてTVのコマーシャル動画でこの競技の様子が紹介されたことがあるので、ご記憶の方があるかもしれません。

 

後述するように、英国やドイツでは18世紀頃から軍事訓練の一環として男子青少年の身体強化や勇気・決断力等を養う「体育種目」の一つとして採用されてきた歴史があります。しかし、近代陸上競技が今日の形態を整える契機となった1864年の「オックスフォード大対ケンブリッジ大学対校戦」や、66年に始まった「英国アマチュア選手権大会」の種目として採用されませんでした。そのため、次第に競技会から姿を消し、衰退の一途をたどってしまいます。

 

一方の米国では、「棒高跳」は19世紀以降に跳躍の中心的種目としてしっかり位置づけされていました。「棒幅跳」の方は英国同様に衰退していきましたが、米国の陸上競技史をひも解くと幾つか実施されていたことが分かっています。1895年のシカゴ博覧会に併せて行われた競技会では「棒幅跳」が公式種目として採用されていますし、1910年にはアダムス選手が28フィート2インチ(8m56)を跳んだとの記録が残っています。

 

第二次世界大戦後に米国のナショナル・コーチを務めたK・ドーティー氏が1953年発行の著書『近代陸上競技』の中で、「自分が現役時代の1929年以降も、棒幅跳の種目に出場して優勝したことがある」と述べています。

こうしたことから、米国の地方大会や英国各地の村祭りなどの中で、この種目は細々と行われていたことがうかがえますが、その後の「英国アマチュア選手権」や1896年アテネ五輪の種目には採用されなかったこともあり、今日では姿を消してしまいました。

以下次号

写真図版の説明と出典

  • 「小川を跳び越す棒幅跳の様子」
    『Walker’s Manly Exercises―to Which is Now Added-<第6版>』(1839)
    Craven著 p54~55(London Wm S. Orr & Co.  Amen Corner, Paternoster Row)
  • 「体育訓練所で棒幅跳を含む各種の身体訓練を行っている図)」
    『同上書』p1
  • 「棒を使って馬の鞍を跳び越す図」
    『同上書』p68
  • 「体育訓練としての棒幅跳を行っている図」
    『A System of Physical Education.-Theoretical and Practical-』(1869)
    Archibald McLaren著 p198 (Oxford at the Clarendon Press)
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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