陸上競技のルーツをさぐる7

障害物競走とハードル競走の歴史(そのⅠ)

障害物競走の原初の形式と「スチープル・チェイス(Steeple-Chase)」の語の由来

競技場内に整然と並べられたハードル競走の起源をたどると、実は「障害物競走」の歴史にたどりつきます。英国国内の競技場内でこの種目が行われる様になった歴史は、それほど古いものではありませんが、実はハードル競走は、主として競技場外の草原や小高い丘を走る競走が原点となって行われてきた種目をアレンジして行われたものに過ぎません。

現在公認種目として行われているこの「3000m障害物競走」は、男子では19世後半から行われてきていますが、女子種目としては、1998年から国際陸連が様々な条件を設定して公認を始めた新しい種目です。

男女とも400mのトラックの外周に作られた高さ3フィート(91.4cm)<女子種目では2.5フィート(76.2cm)>のハードルとの進行方向に深さ70cmのある水濠障害物を3000m走破する中で7回のほかに、各周回中に4台置かれた男子3フィート、女子2.5フィートの高さの頑丈なハードルを合計28回飛び越していく競技です。

誰もがこの競技形式を一目見れば、この種目が、かつて私たちの祖先が、太古の時代に獲物を追って野山を駆け巡り、小川や柵を飛び越え、様々な障害物を乗り越えながら全力疾走をしていた姿を再現しているものだと容易に想像できるはずです。したがって、ハードル種目誕生の歴史の説明よりも先に、この「障害物競走」の歴史から説明していきたいと思います。

この種目のことを英語では「Steeple Chase=SC」と言い、わが国の競技会のプログラムでは「障害物競走」とか、カタカナの「スチープル・チェイス」の表現が長いので、一般に「(3000m)SC」と表記しています。

英語の「Steeple」とは「十字架の付いた教会の尖塔(せんとう)」のことであり、「Chase」は「獲物を追いかける(run-after)」とか「狩り出しをする(drive-away)」ことを意味する言葉です。

この二つの言葉を組み合わせた「Steeplechase」という単語は、中世から近代にかけて、欧州各地の王侯貴族たちが「馬に乗って遠くに見える教会の尖塔を目指して自分たちの荘園内や森や牧草地にあるさまざまな障碍物を飛び越して競走をし、ウサギ狩りやキツネ狩りをする」ことを意味するものとして使われてきました。

しかしその後、同じ乗馬でも森や牧草地でやったことを「競馬場内」に持ち込み、人工的に小川や障害物の代用品を作って、これを飛び越えながら競走する「競馬の大障害レース」のことを意味する言葉としても使われてきました。

さらに、19世紀の後半から始まった近代陸上競技のなかに、この「競馬の大障害レース」を真似て、人間自身が馬に成り代わって障害物や水濠を飛び越しながら走る競走を始めた時にもこの言葉を使う様になりました。

そういえば、近年では自動車で追いつ追われつして走行することも、「カー・チェイス」と言っていますが、これらは同じ言葉に源を持つ表現です。

 

障害物競走の起源

さて、すでに言葉の意味からこの種目が誕生してくる経過を一部見てきましたが、もう少し具体的に見ていくことにしたいと思います。

中世以降の英国では、乗馬による「狩猟」や自らの領地の森林を使って乗馬で駆け巡る楽しみは、「狩猟法(Game Laws)」という法律によって、王侯貴族を中心とした特権階級以外には認められてはいませんでした。特権階級の人びとは、自らのもつ広大な荘園内で、森の向こうに見える十字架の付いた教会の尖塔を目指して自然の小川や溝、垣根、柵などの障害物を乗馬によって飛び越して競走をし、ウサギ狩りやキツネ狩りの形でこうした楽しみを満喫していました。

しかし「禁猟区(Game-preserve)」から締め出され、こうした楽しみを味わえなかった多くの一般民衆や農民の中には、荘園の管理人や監視人の目を盗んで密猟をしたりするものもいましたが、見付かったが最後、死刑を含む厳しい刑罰が待っていました。

この様な時代が長く続く中で、近代に入っても「乗馬による狩猟」の楽しみを奪われている人びとは、競馬場という限られた空間に人工的に水濠や障害物を作って「障害物飛越の競馬」や狭く限られた馬場内にいくつもの障害物を置き、飛越に要するタイムを競う「馬術競技」という形をとって貴族たちと同じ楽しみを味わおうとするものが出始めました。今日のオリンピック種目にある「馬術競技」はこうした経過から生まれたものです。

その後、馬を持つことが出来ない人たちは、自分自身が「馬」になり代わって自らの脚力によって湿原や自然の草原や野原、放牧地、公園などを使って「障害物」を飛び越えながら競走することによって、特権階級にのみ許されていた楽しみと同じことを味わおうとしたのです。こうした事が陸上競技種目としての「障害物競走」の始まりで、これが、さらに発展して「ハードル競走」となっていったのです。

(以下次号)

写真図版の説明と出典

①「乗馬による障害物競走」

『British Sporting Prints』John Cadfryn-Roberts篇 P19(1963年 Goldenariels 出版社

②「Steeplechaseの様子」

『Athletics  and Football』M.Shearman著 P.xvii (1887年 Longmans Green and Co.)

③「灌木越えのレース」

『同上』P407

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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