陸上競技のルーツをさぐる6

クラウチング・スタート出現までの技術開発の過程

記録に残されたアマチュアによる最も古い短距離競走は、1845年英国のイートン校での競走だと思われますが、この頃のスタートはもちろん「スタンディング」でした。その後、1860年代から各種の陸上競技大会が英国各地で開かれていきますが、当時の記録は芝生コースの100ヤード(91.44m)が10秒5<100mに換算して11秒4程度>でした。米国では1868年にNY陸上クラブのW・カーチス選手が、スパイク・シューズを履いて走ったこともあり、スタートの方法も工夫され、次第に記録も短縮されていきました。

写真①

当時のスタート法は、写真①のように、「スタンドアップ・クラウチ(stand-up crouch)」から、腰を屈める「ダブ(dab)<軽く押す>」、腰と腕を十分捻じる「ランジ(lunge)<突っ込み>」などが各選手の体格などに合わせた好みで行われていました。

 

地面に手を着いた「クラウチング・スタイル(crouch)<屈んだ姿勢>」は、オーストラリアのR・クームヴス氏が考えて注目していたものでしたが、実際に出現したのは、1884年にスコットランドに住むマオリ族出身のB・マクドナルドが考えて、87年にエール大学のコーチのM・C・マーフィー氏が学生選手たちに指導。ついに88年5月12日、写真②のように、同大学のチャールス・H・シェリル選手がNYのロングアイランド・チェダーハースト競技場で行われた「ロック・アウェー・ハント・クラブ大会」で初めて使いました。

写真②

この技術は、低い姿勢から一気に飛び出すことが出来るので、本来の考案者の出身地にちなんで、「カンガルー・スタート」ともてはやされたといわれます。

 

はじめての世界的な大会である96年の「オリンピック・アテネ大会」では、米国のT・バーク選手が唯一人、クラウチング・スタートを用いて100mを12秒0で走り優勝。この方法の優位性が示されたので、それ以降は世界的にこの方法が普及することになり、今日に至っています。

写真③

また、20世紀の前半期は選手自らが自分の体や脚長などに合わせ、滑らないようにグランドに穴を掘って足の位置をきめてスタートをしていました。英米だけでなく日本でも1920~30年代の短距離練習法の指導書には、「蹲踞(そんきょ)発走法」として、④のように穴(孔)の掘り方を懇切丁寧に図示して掲載しています。

写真④

この時期、1935年6月15日に「暁の超特急」の異名を持つ吉岡隆徳選手が大阪の大会で10秒3の「世界タイ記録」を樹立した事は特筆すべき事でした。この間、前の組で走った選手の穴は、自分の前後の足幅に合うように一度埋め戻して掘らなければならず、選手や付き添いのもの泣かせでした。日本でも1950年代頃まで、選手たちは常に植木用の小さいスコップを持って試合に臨んでいたものです。

 

こうした状況を克服するために1927年頃、G・ブレスナーンとW・タトルの2人の米国アイオワ大学のコーチが創意工夫して移動可能な「スターティング・ブロック」を試作。29年6月7日の全米学生選手権で、当時あまり有名ではなかったG・シンプソン選手がこれを使い、100ヤードを9秒5の記録で優勝して驚かせました。

 

米国の両コーチの開発した「ブロック」の使い方は、彼らの著書で「用意」の時の前後の足の幅を⑤のように、「bunch(丸くなる)」・「medium(中間)」・「elongated(縦長の)」の3つの特徴を示して詳しく解説しています。

写真⑤

その後の数年間はこのブロックの使用は「有利になるから」という理由で認められませんでしたが、第二次大戦後には大半の選手が使用するようになって「両手・両足のつま先の一部が地面に付いている」ことを条件に認可されました。

 

さらに、1981年のルール改正によって、上記の条文中の「地面に付く事」という注意書きは抹消され、両足先を完全にブロックに乗りきって力強く蹴り出し、宙に飛び出す「ロケット・スタート」などが可能になりました。さらに、人工的に作られた弾性に富んだ走路の改良とともに、更に一段と飛躍発展して今日に至っています。

(以下次号)

写真図版の説明と出典

①「1880~90年代の特徴的な4つのスタート法」

『How to Sprint』Archie Hahn篇(1924年 American Sports Publishing Co.)P200

②「1888年5月12日NYの大会でC.H.シェリル選手がクラウチング・スタートを披露<右端>」『①と同上書』P

③「第1回アテネ・オリンピック100m決勝のスタートの様子」

『The ITV Book of the Olympics』James  Coote他著篇(1980年)P 26

④「スタート用の穴(孔)の掘り方」」

『青年の競技(トラック、フィールド篇)』安田弘嗣著(1925年 更新出版社)P13

⑤「スターティング・ブロック使用時の前後の足の置き方」

『Track and Field Athletics』Bresnahan and Tuttle共著(1947年 Henry Kimpton社)P72

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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