陸上競技のルーツをさぐる5

短距離のスタートの方法

「古代オリンピア」の競技会における短距離競走のスタートの方法がどのようなものであったかについては、写真①や②のような古代競技が行われていた競技場跡から発掘された「バルビス(Balbis)」と呼ばれるスタート時に使う石製の「足止め器」と、当時の競技会の模様を描いた絵皿や絵壺の様子から想像することができます。

 

スタート時の姿勢は、今まではほとんど「立ったり、中腰での姿勢」での「スタンディング・スタート」ではなかったかと言われてきましたが、最近では絵皿などに描かれた走者の姿から、片手を地面につき、ひざを曲げる今日の「クラウチング・スタート」に近い姿勢だったのではないかという人もいます。

 

スタート時の「合図」は、主としてラッパの音や掛け声で行い、今日の競馬のスタート時に行われているように、走者の前に張られた綱を両端の審判員が落とす方法が採用されていたともいわれています。また、1レースに出場する人数は、「バルビス」全体の長さや足を入れる数から、多い時には20人もの選手が走ったことが想像されます。

 

近代陸上競技における短距離競走の誕生とスタート方法

18世紀から19世紀初めにかけて英米では、50~100km程度の「賭け」を伴う長距離、あるいは500kmを超えるような超長距離を昼夜兼行で数日にわたって一気に走り切る競走が盛んに行われ、これが今日の「近代陸上競技」におけるルールづくりや審判方法の基礎に寄与しました。

 

しかし、「賭け」を伴った競走を行う場合、選手同士が「勝つか・負けるか」を賭け合ったり、選手を雇っているパトロン同士が賭ける場合は、長距離競走でもよいのですが、観衆が「賭けの元締め」にお金を渡して「賭け」を楽しむ場合には、賭けた一般の人たちが、レースの一部始終を見届けられなければ面白くありません。また、選手の立場からすると、レースによる疲労のために、連日全国各地を渡り歩いて興行することは無理でした。

そこで考え出されたのが、クリケット場や競馬場の芝生に設定された直線や周回コースを1回程度走り切る「短距離競走」だったのです。ただ、短距離の場合には毎日のようにレースを行うことは出来ても、強くて「どのレース」でも勝つ選手が決まっていたのでは、賭けレースとしては成立しない事になりますので、レースを面白くするためにスタートの方法にさまざまな工夫を凝らしたことが文献に残っています。

 

この頃のプロ走者たちが行っていたスタートの方法について『揺籃期の米国アマチュア陸上界の様相』の著者W.カーチス氏(NY陸上クラブの設立者)によれば、

  1. スタート・ラインの15~20歩後方から、お互いに指を触れながら助走し、ラインを過ぎたところで「指を離し」た後、全力疾走する「競争相手の足並みを乱す」という意味の「ブレイク・スタート(break start)」
  2. 指の代わりにお互いに「鉛の棒」や「木の棒」を持ち、スタート・ラインの後方から走り出す「リード・ぺンシル・スタート(lead pencil start)」
  3. 今日、競艇などが採用しているように、ラインの後方から助走をしたり、跳び跳ねたりしながら進んできて、決められた瞬間に一斉に走り出す「ミューチュアル・コンセント・スタート(mutual consent start)」
  4. ラインの後方に上向きに寝転んで待ち、合図とともに立ちあがって走り出す「ライング・ダウン・スタート(laying down start)」などがあったようです。

こうしたスタート法のいくつかは、全身の瞬発力を鍛えるために、現在もスタート練習の内容として、取り組まれているはずです。また、スタート時の「合図」には、「ハンカチを振る」、「太鼓を叩く」などしてきましたが、1876年以降は「小銃の空砲を撃つこと」とルール化されました。

 

その後、記録が重要視されるようになると、選手のタイムを正確に計測する必要に迫られて、模擬ピストル使って合図をするとともに「雷管」を発射させ、計時員に煙が見えるようにしましたし、今日ではピストルの合図で「電気計時」の装置が始動するように仕組まれた装置を使うようになってきています。

(以下次号)

写真図版の説明と出典

①「デルフィ競技場遺跡に残るバルビス」1994年10月筆者が撮影

②「エピダウロス競技場の遺跡の全容と競技場に残るハルビス」(準備中)

『Athletics of the Ancient World』(1978年<1930年版の復刻本>)E..Norman Gardiner著 資料写真No83 (Ares Publishers Inc,)

③「アッチカ赤絵式キュリックス型盃に描かれたバルビスを使ってスタートの練習する選手の様子」『②と同じ』資料写真No88

④「デルフィ遺跡でバルビスからスタート姿勢を試みる筆者」1994年筆者の同行者撮影

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岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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