がっかりした「絶対王者」の柔道

(この記事は2016年8月のリオデジャネイロ五輪期間中に執筆されました)

正直に言って、がっかりした。柔道男子100㌔超級の王者、テディ・リネール(フランス)のことである。初対戦の原沢久喜を決勝で退けて五輪連覇を果たした「絶対王者」の試合内容は、徹底した「組ませない柔道」だった。

 

開始早々に原沢が極端な防御姿勢をとったとして「指導」を受けた。1分過ぎには2枚目の「指導」。204㌢の長身から原沢の奥襟に長い手を伸ばす一方で、組み手を嫌って相手に胴着を持たせない。自分から攻めに出ることはせず、積極的に前へ出て技を仕掛けようとした原沢をかわし続けた。4分半近くになって1枚目の「指導」を受けたが、いきなりハンディを負わされた原沢と比べ、遅すぎた判定に見えた。

 

ロンドン五輪女子代表の福見友子氏は「海外勢は技の選択や試合の流れの判断が上手で、『指導』の取り方や防ぎ方についても練習を積んでいる」と指摘している。勝ち方を熟知しているリネールは、相手が「指導」で追い込まれて出てくるところで技のポイントを奪う作戦だったのかもしれないが、気迫に満ちた原沢の前進にタジタジとなっていた。

 

リネールが負けたとはいえないまでも、柔道の頂点を決める大一番としてはなんとも物足りない戦い。「相手がそう出てくることは分かっていた。とらえきれなかったのは自分に力がなかったから」と語った原沢の潔さが救いだった。

 

この階級で同じフランス勢との対戦になったのが、2000年シドニー五輪のダビド・ドイエと篠原信一との決勝。篠原の内また透かしが1本と判定されず、優勢でドイエが連覇を果たした。後味の悪い「誤審問題」が五輪後まで尾を引いたことは記憶に新しい。

 

柔道の競技人口が数十万にとされるフランスは、全日本柔道連盟の登録者が約16万人(2015年度)の日本を凌駕する世界一の柔道王国。学校教育でも広く取り入れられ、幼児教育の一助としても人気が高いという。指導には国家資格が必要で、日本で多発する死亡事故も遥かに少ない。国際試合での柔道着カラー化もフランスを筆頭とする欧州勢の提案だった。

 

リネールは「1本を取る」日本柔道を尊敬し、頂点に立った今でもたびたび来日して稽古を重ねている。2007年の世界選手権で18歳の史上最年少王座に就いたときは、憧れの存在だった現日本代表監督の井上康生選手を破った末だった。

 

それだけに、この日の王者の柔道には不満がある。ここまで金メダルゼロと追い込まれていた母国の期待を背負って「これまでにない重圧を受けていた」というリネールに同情の余地はあるが、堂々と受けて立って日本の原沢と技の勝負をしてほしかった。

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船原 勝英

1974年度卒 筑波大学陸上競技部OB・OG会幹事長 
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