陸上競技のルーツをさぐる67

「混成競技」の歴史<そのⅠ>

「混成競技」の呼称と種目

「世界陸連(WAAF)」の規則書では、「混成競技」は陸上競技の各種目を組み合わせて実施することから「combined competition」と呼びます。走・跳・投の総合力を示す競技で、英語では「all -round competition」とか、「all -round athletics」などと表記します。

混成競技には一般男子の「十種競技(decathlon)」と一般女子の「七種競技(heptathlon)」がありますが、男女の「五種競技(pentathlon)」や、わが国で高校生男子用に設定された「八種競技(octathlon)」や男女中学生用の「三種競技(triathlon)」も公認種目とされています。

各種目に含まれる個別種目は表①の通りですが、英語の種目名は数字の10を表すギリシア語の「deca」、8の「oct」、7の「hept」、5の「pent」、3の「tri」と「競技・戦い」を意味する「athlon」を合体させた合成語です。

 

「混成競技」成立の背景

「混成競技」(男子「十種競技」や女子「七種競技」)の優勝者には、単独種目の優勝者とは異なる高い評価と大きな賛辞が送られます。人間の運動能力を多面的に発揮できる選手に対しては、人々は昔から敬意を払ってきましたが、なかでも古代ギリシア人は格別でした。

初期には名誉を重んじた「古代ギリシア競技」でしたが、紀元前6~5世紀頃を境として、次第に物質的な利益が優先されて専門化、プロ化していきます。勝つために偏った訓練を課し、歪んだ身体発達の選手が目立つようになったのです。「競技者(アスリーツ)」という名称はもはや名誉の象徴ではなくなり、当時の思想家や心ある市民たちは調和のとれた「混成(五種)競技者」にギリシャ人の理想像を見出したのです。

 

古代の「混成競技」

「古代ギリシア競技」では「競走(スタジオン走=192m)」・「走幅跳」・「円盤投」・「やり投」と「レスリング」で構成される「五種競技」として行われていました。紀元前8世紀後半のホメロス(Homeros)の叙事詩には詠われていませんが、紀元前708年の「第18回オリンピアード」第2日の「五種競技」でスパルタ出身のランピス(Lampis of Sparta)が優勝した記録が残っており、この頃から始まったものと思われます。

実施順序は明らかではないですが、古代史学者のN・ガーディナー博士は著書『古代世界の競技(Athletic of the Ancient World)』(1930年刊)で、「レスリングが最後だったことは確実」と主張。他の史料から、「競走」「走幅跳」「円盤投」「やり投」の順序で行われていたと推測しています。

今日のような「採点表」があった訳ではないため、勝敗決定の方法も不明。5種目すべてに1位を取れば優勝者となるのは当然ですが、めったになかったようです。「五種競技」の優勝者が「三冠王(triple victor)」と呼ばれていたことから、3種目の勝利で制覇できたと考えられます。実際にはそれもまれなことだったため、最初の4種目中、まず3種目に敗退した者が除外され、残った2人の競技者が最後の「レスリング」で雌雄を決したものと考えられます。

成人の「五種競技」は以上のように実施されましたが、紀元前632年「第37回」では唯一「少年五種競技」が行われ、スパルタ出身のオイテリタス(Euteridas of Sparta)が勝ったとの記録が残っています。

 

写真図版の説明と出典

  • 「前525年頃作の絵壺に描かれた「古代五種競技」<走幅跳・円盤投・2人のやり投選手>」『筆者が「ロス五輪記念展示会」開催時、大英博物館売店にて購入した絵葉書』(1984年)
  • 「公認の混成競技を構成する種目一覧表(男女別・年齢別)」『2020年度陸上競技ルールブック』(2020年)p.347~ (財・日本陸上競技連盟)
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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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