陸上競技のルーツをさぐる24

リレー競走の歴史<そのⅡ

近代陸上競技における「リレー競走」の誕生の経過

今日行われている「リレー競走」は、19世紀末に米国ペンシルベニア大学のF・B・エリスとH・L・ゲイエリン によって創設されました。開拓期の米国では大きな街ごとに用意された馬を次々に乗り換え、広大な東部と西部の間をニュースや郵便物をリレーして運搬して行く「駅馬車」が活躍しました。2人はこの速達便や早馬(pony express)からヒントを得て、1893年に「バトン」を持って次々と走り続けていく競走を思いつきました。

1895年には、ペンシルベニア州がこの発想を採りいれ「ペンシルベニアのリレー・カーニバル」の名の下に、全米の学生たちのためにリレー競技会を主催しました。大会は100年以上を経た今日も「ペン・リレー」の愛称で引き継がれ、毎年4月に米国の春の競技会幕開けを告げるビッグ・イベントとして数千人の選手を集めて盛大に開催されています。

一方で、1929年に当時の英国陸連ヘッド・コーチであったF・A・M・ウエブスター氏が「大英百科事典(俗に「ブリタニカ」と呼ばれる)」第14版の「リレー競走」の項を執筆したなかで、「米国開拓期に東海岸のマサチューセッツ州の消防士たちが、火事のない時のレクレーションを兼ねた消火訓練として行っていた<.ビーン・ポット・レース(Bean-pot Race)競技に由来する」と示し、起源についてもう一つの説がある事を紹介しています。

ウエブスター氏によれば、この競技は<警報が鳴らされるとグループのなかで最も足の速い者がホースを乗せた消防馬車(cart-and-hose)を目がけて全力で走り出し、最初の走者が到着した瞬間、他の消防士のメンバーが消防車を引き出すためにスタートするといったルールで行うものであった>と説明しています。

この古いリレーの方法は、第2走者は第1走者から「小旗」を引き継いで走り、次々と次走者に手渡していくものでした。しかし、この「小旗」は旗の布の部分があって走行時には邪魔になるため、後には選手同士が直接身体の一部を「タッチ」する方法に変更されていきました。両説にはそれぞれ説得力ありますが、今日ではどちらが有力か検証するのは困難な状況になっています。

「ペン・リレー」の定着から、競技化への過程

米国のE・ブシュナル氏は、第50回記念の「ペン・リレー大会」プログラムで、1895年の初回大会が開催された当時を回想。前述のエリスとゲイエリンの2人が、トラック競技でどうすれば選手や観客の人気が集められるのかについて工夫した様子を述懐した一文を寄せています。2人は個人種目中心の陸上競技の練習の中で、いかにしてグループ内の選手個々人の力を引き出せるかについて考え、数人の選手が力を合わせて「リレー」というひとつの種目に挑戦する方法を考案したというのです。

冬季トレーニングを終えた春のトラック・シーズン幕開けの時期に「リレー競技」を付け加え、プリンストン大学のリレー・チームを招待する計画を立案。「リレー種目」を実施することで、冬の間に多くの選手が目標を持って球技のように力を合わせ、しっかり練習するようになれば、一石二鳥の役割を果たすと考えたのです。

2人が考案したリレー種目が実施されたのは1893年。この大会では、両校が1人1/4マイル(=約400m)ずつ、4人が合計1マイル(=1609m)を競いました。大会が成功裏に終わったことで、95年にはペンシルベニアの実行委員会は外部のスクールやカレッジを招待し、9種目のリレーを組み込んで大学、カレッジ、スクールの予科、スクールの4部門に分けた大規模な大会を開催しました。

リレー種目がここでようやく定着し、途切れることなくこの大会が開催されていく事になりました。1896年に「第1回アテネ五輪大会」が開催された1年前の事でした。

この時期にはまだ「クラウチング・スタート」や「バトン」は用いられておらず、引き継ぎ時に身体の一部に「タッチ」する方法でした。これでは正確に引き継いだかどうかの判定が難しく、やがてバトンを使うようになりました。

その引き継ぎ区間として「20ヤード(=18,29m)」のゾーンを設け、この区間内でバトンの引き継ぎを行うというルールが生まれました。米国内で始まったこのルールは、以後の五輪大会でも実施されるようになりましたが、国際ルール通りに「メートル基準の20m」に定まったのは1962年のことでした。

「バトン」の引き継ぎに関しては、近年では「バトン・パス」の用語が正式なものとされています。ところが、わが国では実際のバトン引き継ぎの用語としてだけでなく、仕事や人事等の「引き継ぎ」の際にも「バトンタッチする」との表現をしばしば耳にします。この種目がわが国へ紹介されたのは大正時代初期ですが、当時の欧米人たちは走者間の引き継ぎ時に「バトン」ではなく「直接身体タッチ(触れる)」の方法を用いていました。それ以来、この用語が頻繁に使われたことが、日本語として定着した要因ではないかと思われます。

(以下次号)

写真図版の説明と出典

① 「1920年代初頭の<ペン・リレー大会>盛況の様子」
『Middle Distances and Relay Racing』<Spalding Track and Field Series of Athletic Textbooks No.502B>(1924)J.E.(“Ted”)Meredith 著 American Sports Publishing Co. P124

② 「1915年の「ペン・リレー大会」における1マイル・リレー競走の様子。前方シャツの<P>は、ペンシルベニア大、「H」は、ハーバード大などのチーム」『同上書』 P134

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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