陸上競技のルーツをさぐる10

障害物競走とハードル競走の歴史(そのⅣ)

「ハードル」の語の由来

近代陸上競技における男女の「ハードル競走」は、短い距離の中に同じ間隔に置かれた同じ高さの「ハードル」をリズムよく何台も飛び越しながら競走する形式で行われてきています。選手たちがこの「ハードル」を次々と飛び越していく姿を見ていますと、この種目のルーツが、これまで述べてきた「障害物競走」であることは容易に想像されます。

 

「ハードル(hurdle)」という英語の語源を探っていくと、「ハードル」そのものの性質がどのようなものであったのかが、よくわかります。この語のルーツは、数百年前に使われていた古英語の「hyrdel」ですが、独語の「Hürde」、オランダ語の「horde」など英国近辺の欧州諸国の言葉とも根を同じにしていて、英語の空き地や建築現場で使う「板囲い」を意味する「hoarding」などの言葉も、ここから生まれた言葉です。

 

さらにまた、英語の果物などを運ぶための竹や柳で編み上げた「籠(かご)」を意味する「crate」とか「鉄格子」を意味する「grate」、ラテン語で「バスケット」を意味する「cratis」、ギリシャ語で「枝編み細工」を意味する「kurutia」などの語もこの言葉から枝分かれして欧州各国で使われるようになっていったものです。

 

これらの意味から読み取れるように、「ハードル」とは本来、軽い木材を骨組みとして柳やハシバミまたは、曲がりやすい枝を持っている各種の樹木を使って、編み上げた「移動の可能な仮の塀、柴の束で作った野原の門」などを指すと同時に、「鉄や針金などの物質で出来ている構築物」の言葉を指す意味でもあります。

したがって、「ハードル競走」というのは、本来、自然の野原や放牧地にある様々な「障害物」を飛び越して走る形態を、限られた空間であるグランド内に「障害物」を人工的に設営して競技化したもの。このレースを行う時に「障害物」として置いたものを英国の人たちが「ハードル」と呼んでいたことから、この競技の名前を「ハードル競走」と名付けたと思われます。

 

しかし、長距離の中で「障害物」や「水濠」を跳び越ながら走る種目は、「ハードル競走」とは区別して「競馬での障害物競走」の呼び名と同様に「SC」と呼ぶ習慣が、今日まで残ったといえるのでしょう。

 

「ハードル競走」の発展史

「SC」が、1830年代後半以降の英国のパブリック・スクールで非常に盛んになったことは、すでに述べてきました。その後、学校内のグランドを使っての「運動会」形式の大会が、英国各地の諸学校で盛んに行われるようになると、野原や放牧場を使って走る長距離の「SC」とは別に、一直線を駆け抜けたり、グランドを一周する短距離競走の途中に人工的な「柵(hurdle)」や、「塀(fence)」などの「障害物」を置き、これを何台も飛び越えて走る形式が編み出されました。これが「ハードル競走」なのです。

 

こうした競走がいつ頃から行われたのかについては、有名な『バドミントン・スポーツ叢書』を編纂したビュッフォート侯爵・シャーマン卿<オ大の440ヤード選手で、英国最高裁長官を歴任し、1916~30年第3代英国陸連会長>が、1887年出版した『陸上競技とフットボール』の著書の中で「1837年には、イートン校の校庭で100ヤード(=91.4m)に10台のハードルを置いての競走が行われた形跡があった」と述べているのを見ると、恐らく1830年代後半には、この競技がわずかではあっても行われていたことが伺われます。

 

その後、51年の『エクスター校秋季大会プログラム』には、「10ヤードごとに10台のハードルを置いた140ヤード(=128m)ハードル競走」のことが掲載されていて、同51年発行の週刊新聞『ベルズライフ・イン・ロンドン』には、今日の110HHと同じ規格の高さ3.5フイート(=106.7cm)のハードルを「2人の競技者が50台飛び越すレースを行った」と報じているのも見られます。

さらに同年、11月17日の『タイムズ』紙にも「イートン校の校庭で7人の選手が出場して同様のハードル競走があり、優勝タイムは20秒であった」とも報じられています。この年には英国のハロー校、マルバラー校、陸軍士官学校で陸上競技大会があり、大会の種目の中に、短距離のハードル競走が行われたとの記録もあり、この年前後から、英国各地の学校を中心に、この種目が確実に定着し、実施されていたことがわかります。

 

しかしこの当時、こうした「ハードル競走」の距離、ハードルの高さ、インターバルの距離はまだ定まってはいませんでした。

 

この当時の記録を見ると、「120ヤードに4台、200ヤードに4・5・8台のハードルを置いて競走を行っていた」との記述も見られることから、各校でハードルが準備できる数に合わせて独自の基準や距離設定して、レースを行っていたことも伺えます。

 

これは恐らく、この種目を行うために図版の様に、牧場からそのまま持ってきたような頑丈な木組みの「ハードル」を何台も、芝生内に埋め込んで設置しなければならず、規則が定められなかったのではないかと思われます。

(以下次号)

 

図版の説明と出典

①「1880年代、芝生に埋め込まれたハードルによるハードル競走の様子」

『Athletics and Football』 M.Shearman著P126 (1887年 Longmans, Green, and  Co.)

②「芝生上で、倒れないハードルでの競走の様子」

『Athletics of Today<History Development & Training> 』F.A.M.Webster著

P149 (1929年 Burlei Press, Lewin’s Mead, Bristol)

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岡尾 惠市

岡尾 惠市

1960年度卒 立命館大学名誉教授
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