古希直前にマイルリレーへも挑戦!

アジアマスターズで4種目に奮闘

原間 裕(1973年卒)

2019年12月にマレーシアのクチンで開かれたアジアマスターズ大会で、かつて円盤投で日本のトップクラスだった山崎祐司さん(マスターズM45,50の日本記録保持者)と一緒になりました。応援やら情報交換やら楽しいひと時を過ごし、マスターズ陸上の愛好者を増やそうと意気投合。今回、ホームページ掲載の機会を得ました。

クチンでは、個人種目で走幅(4位)と三段(2位)にエントリーしましたが、5cm差で2位に甘んじたり、3cm差でメダルを逃したり。長引くアキレス腱痛による練習不足が露呈した形でしたが、リレーを走ったエピソード含めてリポートをします。

最終日のM65の部で400mリレーとマイルリレーに出てくれと頼まれました。400mリレーならまだしも、マイルリレーは大学卒業以来練習でも走ったことがない。アキレス腱痛もあり無理と断ったのですが、歩いてでもバトンをつないでくれればいいとまで言われます。最後のきめゼリフでは「私(69歳)と佐々木さん(68歳)の二人に手ぶら(金メダルなし)で返すわけにはいかない」と声掛けされたことで決断しました。

あとの二人は新井さん(66歳)と佐藤さん(67歳)で、私以外は400mのファイナリスト。1人は200m、もう1人は300mハードルの優勝者です。3人で私をフォローしてくれるということで本番へ。400mリレーは3走、片脚だけに力を入れてなんとか走り、運良くバトンもつながって金メダルのテープを切ってくれました。

それから4時間後、アキレス腱が悲鳴を上げています。キネシオテープもただの飾りと化し、走り切れるかどうかという不安でいっぱいです。任されたのは1走。足を置くだけにして、流しのつもりでスタートしました。走り切ることだけを考え、スピードを抑えてバックストレートへ。

このまま行けるかなと思った250m付近で突然、足が前に出なくなる。ついにきたか…。カーブは腕を上下にたたくような感じで走りましたが、直線に入ったところからは全く足が止まり、全身(気持ちも)ガチガチの状態で歩くようにホームストレートを進む。中国と小差の2番手でバトンパス。2走の佐々木さんは、見かねてスタート位置で動かず待っていてくれました。

3走へはトップでバトンが渡る。もうこれで安心。どんどん差を広げて有終の美ということになりました。役目を果たした安堵感とともに、スタンドの応援や3人の方々の気配りに感謝の気持ちでいっぱいでした。

マイルリレー、メンバーと中国選手

私のマスターズ陸上デビューは1993年(43歳)のとき。日本初開催となった第10回世界マスターズ陸上宮崎大会への参加でした。三段跳に出場して13m43の銅メダルでした。

いつの間にか27年が経過。これまでずっと楽しんで来られたのは、体育教師という仕事だったことですね。生徒と一緒に練習し、空き時間にひょいとトレーニングルームで筋力強化ができる。練習環境が良かったことと、大した怪我がなかったおかげです。

三段跳の練習では、基本の動きと体力維持を重視してきました。ずっと核になっているのは、学生時代に反復したバウンディング(連続して大股で交互にジャンプしていく)。なかでも岩原スキー場(大学時代の夏合宿)や検見川の坂、平塚の砂浜での下りバウンディングは懐かしく思い出されます。

マスターズ陸上の魅力は、試合での緊張感やうまくいった時の快感、多種目への挑戦など。勝負にこだわってもよし、あるいは記録をいかに維持できたかでもよし(記録を伸ばすことは歳とともに難しい)。気楽な気持ちで参加でき、余裕をもって楽しめます。

大会ごとに会える仲間とのコミュニケーション、競技後の飲みながらの反省会などが楽しみの大部分を占めています。記録の低下を食い止めるのは難しいですが、それはもう気にしない。生涯スポーツとして健康のために楽しく、淡々と続けるつもりです。