◎炭鉱のまち筑豊で先輩と参加
有吉 正博(1970年卒)
1964年9月16日、佐賀県から筑紫野市を経て福岡県入りした聖火は、大宰府、大野城を経由して福岡県庁へ到着しました。翌17日には20万人が見守った福岡市内を一路北九州へ向かい、飯塚市の八木山峠を越えてボタ山が並ぶ炭鉱の町、筑豊へ。その中心地、直方市での聖火リレーに加わったのが、鞍手高校生徒(陸上部とバレーボール部が中心)によるリレーメンバーでした。正走者は3年生のバレー部主将で、私は1年先輩の綱分憲明さんとともに随走者を務めました。
聖火の到着を待つ鞍手高校チーム(後列右端が有吉さん)
随走者(右が有吉さん)
メンバーがそろったカラーの記念写真よりも、随走者の家族が撮った白黒写真の方が、地域の雰囲気がよく表現されていて、沿道の興奮状態が感じられます。
鞍手高校チーム(前列左から2番目が綱分さん、右端が有吉さん)
鞍手高校聖火リレーチーム(右から2人目が有吉さん)
翌年には綱分先輩が東京教育大学へ進学され、私もその後を追って進学して共に箱根を走ったことが宝物です。確か64年の春、鞍手高校の先輩でもある関岡康雄先生が神尾正俊さん、永井純さんらを伴って母校陸上部の激励に来られました。このことが、綱分先輩、私の進学に少なからず影響を与えたと思っています。今につながる茗渓のご縁に、あらためて深い感慨を覚えます。
委嘱状「1964聖火リレー」