40年来の夢だった大学院へ進学

1975年卒  津田(古館)淳子

 

大学院の後期授業が始まりました。長崎純心大学大学院人間文化学部M 1の仲間は13名。私の専攻は福祉文化で、他に比較文化、心理、児童文化があります。福祉文化のクラスメートは、私の他に61歳の女性と29歳の男性の2名です。女性は社会福祉協議会(社協)に勤務しながら長崎ウエスレアン大学で講師として教鞭を執っている。学長は有名な姜尚中さんです。男性は長崎大学医学部事務室に勤務しながら、われわれの指導教授と多職種連携教育について共同研究を行っている。二人とも親切で、いろいろ助けられています。

 

大学院進学は3回目の挑戦でようやく実現しました。過去2回は大学卒業時と、放送大学大学院にチャレンジした55歳の時でしたが、ともに叶いませんでした。

 

大学卒業後は長崎県立短大体育科勤務からスタート。10年目に県立北陽台高に移って14年間勤務し、女子バスケットボール部の顧問を2年、男女バドミントン部の顧問を12年務めました。バドミントンでは団体戦での県大会3位が最高の成績でした。その後に五島列島奈留島の奈留高校で1年間勤務し、ソフトテニス部の顧問を務めましたが、2年目の4月に難病のギラン・バレー症候群に倒れて1年間治療と静養。復職後は諫早養護学校へ転任し、2013年の定年まで勤務しました。この間40年以上ずっと、大学院に進学したいという希望を抱いて過ごしてきました。

 

昨春、短大時代同僚だった英語の小川先生に久々に再会。「とうとう大学院に行けませんでした」と話したところ「まだ大丈夫じゃないですか。門を叩いてみませんか」と激励され、研究計画書作成の指導までして下さったのです。最後のチャンスと思い、夏場に長崎大学図書館や町の図書館に通ってタイトル探しから始め、小川先生のサポートも得て合格することができました。

 

先日、長崎大に調べものに行った際、純心大学大学院に通っていること、お世話になったことを話すと喜んでくれました。嬉しかったです。思い出すにつけ涙が溢れてきます。

 

講義内容は、前期が指導教官の指定分野を個々に調べて発表する程度だったのが、後期はグループでの授業が大幅に増えました。用意されたテキストにそって学生が話し合って分担を決め、各領域のレジュメをつくって事前に指導教官に提出。レジュメの内容と自分の研究、考え等を関連付けて討論をリードしていくという授業の進め方です。パソコン操作は苦手でしたが、お陰で少しずつ操作に慣れてきました。

 

研究テーマは当初「一人暮らし高齢者のネットワーク構築の必要性」でしたが、高齢者問題は自らの経験、問題意識ともに乏しく、再考した結果、長く関わってきた「部活問題」を取り上げようと思うようになりました。「私は部活の指導が手かせ足かせだった。ブラック部活などと社会問題になっているこのテーマに触れなくては先に進めない」と考えたのです。

 

タイトルは「なぜ部活問題はなくならないのか~その原因をさぐる~」で、一応の仮説まで立ててみましたが、指導教官からは「この内容では教育分野」になると指摘されました。そこでタイトルを「教師のワークライフバランス」とタイトルを改め、福祉分野と関連付けて方向性を探っているところです。

 

卒業後のあては当面ないので、今は論文を仕上げることに集中します。念願の大学院生活はまだ始まったばかり。じっくり構え、楽しみながら学生生活を送りたいと思っています。

大学院進学先の純心大学園祭で